かつて大女優として一世を風靡した藤原千代子。彼女が語る「恋する少女」としての半生と「恋する女性を演じ続けた女優」としての半生。そこに映し出される実態の千代子と虚構の千代子は曖昧に溶け合い、「届かぬ恋を追い続ける感情」に囚われた千代子の内面に広がる盲目的な愛に陶酔した世界観を描き出す。
あの人を想っている限り、私の心は永遠にあの時の少女のまま。しかし、自分の心の外の実時間は一定の速さで過ぎ行く。いつまでも幼い恋心を追い続ける私とは対象的に、年相応に結婚が自分の周りを取り巻く。そうやって私の心は時の流れから取り残されて、自分の老いも、あの人がもういないことにも気付かない。
だけど、あの人との約束を追い続けている限り、そんな無情な時の流れを忘れられる。だから千代子は「だって私、あの人を追いかけてる私が好きなんだもの」という台詞を最後に残したのだと思う。
千代子は女優として様々な時代・舞台で一人の男を想い追う役を演じてきた。それと同じように「恋に恋すること」で、千代子は現実とは切り離された世界、もう居ないはずのあの人が何処かで待っている世界を生きることができる。あの人との「愛に生く」ことで、あの人に「会いに行く」ことができるのだ。
「女の子は恋をすると可愛くなる」というが、恋をすれば永遠の若さも、次元を超えた世界にトリップすることも現実にしてしまうのかもしれない。そんな「恋の魔力」ともいうべきものを、老いてなお美しさを覗かせるまさに魔女のようでもある藤原千代子という女性の走馬灯とも取れる回想に感じた。