使命のために正義を体現する乃木若葉のようにはなれないし、だから人々から持て囃される英雄にもなれない。それが郡千景。
彼女は勇者である前に、ただのフツーの女の子でしかない。だからこそ、勇者・乃木若葉のことが憧れであり、輝いて見えて仕方ない上、それと同時に憎くて堪らないのだと思う。
だけど、そんな千景は神樹さまから勇者の称号を剥奪されてしまい、最後には若葉を庇ってバーテックスに殺されてしまう…。そんな所詮はちっぽけな人間としてあっさり散ってしまった千景の姿は、彼女をあれだけ悩ませた「勇者」という称号は代償としての何のメリットもくれない、ただ辛いだけのものということを痛感させるもので、ひたすらにやるせなかった。
あれだけ人々が「勇者、勇者」と祭り上げたことで千景を苦しめたのなら、神様もそれ相応の力を彼女に与えてくれてもいいじゃないかと思わずにはいられない。結局は「勇者」というのもただの人間なんだ、市民をコントロールするための虚像なんだと思い至るようだった。
さらに、そんな千景亡き後、彼女が生きていた足跡を辿った若葉たちの目に入ってきたのは、生前の彼女が抱えていた孤独とやっぱり勇者の場が彼女にとって唯一の居場所だったんだという事実。
そんなことを踏まえての「みんな苦しんでる、私たちはまだ中学生なのにどうにもできないことばかり」という上里ひなたの言葉や、「私たちも一人の人間であり、辛さの中で戦っているということを分かってほしい。郡千景も勇者だった」という乃木若葉の会見は、まさに勇者の人間宣言として聴こえていた。そして、少女たちは人間のための人間の勇者なんだとつくづく、今更にして気付かされた。