キャラクターが可愛く、世界観が肯定的でほのぼのした作品でありながら、この作品世界に散りばめられたさまざまな謎の存在が物語に推進力を与え、そうした作品の宿命とも言える退屈さから免れている。
シーズン2でそれらが解決するのかもしれないが、提示された謎が解明されてはおらず、シーズン1単体では完成度としては必ずしも高いわけではない。設定の矛盾と思われる箇所もいくつかある。
だが、それでもなおこの作品は佳品だと評価したい。その理由は先に述べたように、世界観の心地よさと、推進力である。そして、設定の矛盾(と思われる箇所)や未解明さも、欠点であると同時に、鑑賞後の味わい要素でもある。
シーズン2はこの作品の監督作品ではないらしく酷評もあるようだが、一応は観ておきたい。
世界観の謎がどう説明されるのか、そして彼女たちがどうなるのか、別の監督による一つの解釈として興味はある。
これは咀嚼力を試される作品。
子供向けのアニメと思って軽い気持ちで観ていたら途中でよくわからなくなった。こんな高度な作品についていった当時の子供も凄い。
おもしろ可愛い。
はかせが可愛すぎて不条理モノなのに癒される。不条理とほのぼのの入り混じった心地いい世界。
ギャグは面白いものや、つまらないもの、ちょっとわからないものと色々。
意外に面白かった。
少女が戦車に乗る必然性や理由付けは特になくて、美少女と戦車という組み合わせをやりたいだけのための設定なんだけど、そういうのに抵抗がなければ楽しめる。
私個人としては、理由付けしてるほうが好みではあるが。
序盤提示された、船の上に学園と小さな街があるという設定は面白くなりそうと思ったが、特に物語の本筋には関係がなかったりする。
これも個人的にはこだわってほしかったが、物語の一番大切なポイントはワクワクする戦争ごっこの描写であり、そこが楽しく描けているということで良作だと思う。
今どきメジャーな著作物で、戦争を批判的な視点抜きにワクワクするものとして描くのは難しいが、こういうやり方があるか。
エピソード49まで観了。
自由さが面白かった。番組が十分くらい経ってから思い出したようにオープニングテーマを流したり、オープニングテーマを端折ったり、最初のお決まり的なナレーションの途中で銀さんが「もういいだろ」って茶々を入れたり。
全体的な印象は色んな意味でクールな作品。
予想以上に良かった。
ダスティン・ホフマン主演の『卒業』のパターンだが、このパターンは『卒業』含めて劇的だが後味が悪い。
しかし、この作品はこのパターンの後味の悪さを取り除くことに成功している。
クレヨンしんちゃんの映画初鑑賞。
映画クレしんは凄いっていう話を聞いていたのでめっちゃ期待して観たせいか、イマイチだった。
まあ子供向きアニメ映画としてはこんなもんか。
ハッピーな感じは悪くない。
かなり面白い。
教養として履修しておこうぐらいの気持ちで見始めたのだが、期待以上の作品。いきあたりばったりに物語を連ねていったと聞くが、そういうやり方でここまで凄いものになるとは。
欠点は多々ある。
初期のビジュアルの粗さ。
シンと闘うまでの無駄な引き伸ばし。
キーとなるはずのユリアの魅力がイマイチ描ききれていないところ。
そして、昔のアニメ特有の過去を振り返る総集編の多さ。これは苦痛になるレベルで多く、重大な欠陥である。特に、最終回を総集編にした感性は理解できない。
しかし、『北斗の拳』にはそれらを吹き飛ばす魅力がある。その魅力の正体は何なんだろうか。
魅力の正体は、半分はギャグ狙いであろう極端な誇張にあるのかも知れない。
この作品世界の大柄な男は、ケンシロウの何倍もある異常な大男として描かれる。主要人物は、そんな大男のみならず、百人単位の戦士やチンピラをあっさりと片付けてしまう。岩塊を持ち上げ、足を地に叩きつけると地割れが起こる。まるでシリアスタッチのアラレちゃんである。
ギャグ狙いの荒唐無稽といってもいい物語だが、だからこそそれを突き抜けることで、途中から神話的な趣を纏いはじめる。主要登場人物の幾人かは、世俗の悪党や正義漢ではなく神話の中の神のようでさえある。
神々の生き様や死に様は、我々には手の届かない高みにあり、参考にも指針にもならない。
我々にはただ神々の行いを目の当たりにし、そして圧倒されるのだ。