「この雨は嬉し涙なんじゃないかな」「二人はきっと会える」という回想シーンの使い方、陽桜莉が短冊に何を書いたのか見せずにおいて、最後に見せる展開のさせ方が憎い。こんな願いの叶い方は嫌だ。 「想い」が抜かれることで救われるのなら、「想い」が抜かれるのを阻止するのは偽善なのか?重い問いが突きつけられ、ますます目が離せない。陽桜莉たちがこの問いにいつかNoと答えることを期待して、この物語の行く末を見守りたい。
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