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幼少期ディヴィの友達の声がすてきで引き込まれました
特に第一声の「ディヴィ」と呼びかける声に、ごく自然と過去(回想の時空)へと連れて行ってもらいました。



とても良い

 初手ストロングぐびっ、で笑いました。前話の感想で、竜の造形について、アラミタマの造形を踏まえた形で面白かった、と書こうと思ってなんだか腑におちず、書くのをやめたのですが、今回目玉がついて、それが足りなかったんだ!としっくりときました。
 何より今回はお祭りが楽しかった!です。この島のお祭りでは全員がお面をつける風習があります。人ならざるものが参加していた名残だろうと(竜が人の形を取るだろうことが主人公で示唆されているように超常の存在が混じることはあるだろうと)予測しましたし、鞍馬にそう説明されてやっぱり、と思いました。修行場での邂逅は、そっち方向も含むのか!と意表をつかれました。何話でしたか、お墓参りを楽しく、思い出を語るのは、そういう不思議があるから、そこにいるという感覚を島の人々が持っていたからなんだと思いだして思って、そんなふうにあちこちにつながる感覚にしびれました。
 また、お面がそこにある風景がすごく単純にとてもとても楽しかったです。話(ともだちと気になってる子とお祭りをまわる)そっちのけでまわりの名もなき人々がどんなふうに祭りを楽しんでいるか想像するのに忙しくなりました。これは全くの想像ですが、ひとりひとりお面をつける以上、なんとなくでは付けられないので、ちょっとしたストーリーのようなものをひとりひとり設定したのではないかと思いました。
 ウワバミの方の場面は画面に映る存在感特大のお面芸(おかめとひょっとこ)で楽しすぎて話が入ってこない…ってなりました。しかし、話のほうの衝撃も大きくて入ってきました(かき氷の氷を使うからって南極に行くなんてきいてないってどんな面白エピソードだったんですか、かつて屋台を出した際)。
 (お祭りから帰る人を描いて時間経過を表すのも面白いな〜とみていて)急に不穏が起きるのも、その前に2回(1回目は夢で、2回目はたちくらみだけで)気のせいか?と感じさせてから止まらないかもと思わせて一旦は戻して不意に大事になる段取りも含めて、お祭りを全力で楽しんでいたので落差で軽く血の気が引く感覚がするくらい衝撃を受けました(いやだったのではなく、それがとてもよかったです)。とても良い揺さぶられでした。
 尽義さん、初手ぐびっだから、かっこよく「いい顔するようになったじゃねえか」って言っても決まりませんよと思っていたらエア大活躍して、やっぱかっこいいかもと思わせて、実物見返したらやっぱ気のせいか?と思わせる彼の評価ぐわんぐわんなのも楽しかったです。
 怖い人という印象の強かった大ボス、伊吹朱も前回の家族ふんいきをひきついだような(祭りに送りだした)いばらを心配する様子も楽しいものでした。
 確かな術師としての力量で、しっかりものの印象があった鞍馬が商売の面では頼りにならず弟子たちに叱られている様子もいつもと違った楽しさがありました。
 お面をつけた祭り、自分の素性を忘れて(確か鞍馬の言)楽しんで、普段とは違う面が見える、そう思うと、視点も主人公たちからちょっとだけ散らして、周りに生きる人々もまた主人公のようにこの時を楽しんでいたのを描かれたのかもしれないと考えたら楽しい気がしました。
 楽しかったです。









良い

 過去回。想像したよりも家族的な師弟関係で、修行風景と家庭的な思い出とが交互に示される一枚絵繋ぎの時間経過が面白い味わいでした。茶太郎と夜胡が行っていたミタマ鎮め依頼ポストの回収を同じように行っていた絵にほっこりしました。
 尽義(と幸人)が脈継ぎとしての衣装ではなく、一般的な格好をしていたのが、はっとさせられる光景でした。遊びに近い(生得的な術の能力に慣れ親しむ)段階で師匠と別れたんだと思うと、今まで考えていたのと少し印象が変わって感じられました。脈継ぎとしての元服の儀、みたいのもあっただろうと想像して、楽しかったです。
 想像といえば、冒頭あたりでちらっと映った井戸が、地下に霊脈があると認識してるこの島では井戸を掘るにもちょっとした儀式があるんじゃないかと想像しました。ちょっとずつ日常的なものの中に違う感覚が入れることができるようになるような感覚が、観ていて好きだと思います。
 伊吹朱の力に対する渇望は師匠との関係を想像していましたが、鞍馬の傷も関連してくるのは予想以上で目をひかれました。
 過去の振り返りというと、決定的な変化が起きた出来事を描写するので、劇的なものになるのが自然と思います。劇的な、けれど家族の歴史の振り返りが重なって、どこか静かな雰囲気もまとって、面白い味わいをかみしめました。



(だいぶ前にみたうろ覚え感想)
(何を見て何を見ていないか正確に記憶していませんが、おそらく)ディアボロモンの逆襲以来のでした。なんとなく惹かれるものを感じて観に行きました。
それを手放した私は私ではないと思っちゃうな、とそれを見て思いました。私はこの目の前の箱によって影響を受け続けています。これがあることでこれと共にあるこの私の人格は生えてきたとも言えるし、ちょっと寄りかかりすぎているかもと省みる機会にもなりました。
と、同時に、確かにデジモンのそれを肯定することはそのような意味を含んでいた、と頷きました。
と文章を書いていて気づき(生じ)ましたが、ルイとウッコモンの結び直し自体が、それがなくても成立するものとして成立しているのかもしれません。出会いのきっかけにはなっても以降それが機能することはなかった、と記憶しています。
頷きながら、それを否定しても、身体を否定しなければ(否定することの是非はおき)、片手落ちのようにも感じました。身体に寄るのは、それに寄るのと、そのような意味の次元では同じことと思うからです。
と観終えた時には思いましたが、書き出してみてこれは斜に構えた見方というものかもしれないとも思います。
過去にあれだけ価値観の断絶していたウッコモンが話の通じる存在になってたことに、マジでずっと観測し続けて、ルイを、またニンゲンというものを理解しようと続けたんだなと想像が働いて、ヘキでした。人外に己れを理解されてしまう時のぞわぞわが私はたぶん好きです。ストーリーとか、流れで物事を理解する(そういったものは本来存在しないとみることができる)のをニンゲンらしさの最たるもの、と思っています。



とても良い

なんか満ち足りた気分になりました。満足です。思いだすと終わりが好きだったという印象が生じていました。
倫理も「愛」も煮込んで煮詰めて、最後に愛ゆえの報復で閉じたのの食後感がたぶんよかったです。
濃色日番谷隊長が好みだったので最初から好印象でした。
千本桜無双(かっこよし)から、ピンチになり方(普段無機物的に扱う)も、咄嗟の愛(斬魄刀への思い入れで折ることができず手放す)も、好きでした



良い


良い


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