FSSの事を除けば本作は「絵が綺麗で音響にこだわっている2流アニメ」だ。
確かにこだわりは伝わってくる。永野護の思い描く世界が手書きアニメーションで動いている姿は素晴らしい。アニメーターの負担を減らすためにディテールを簡易化するなど「妥協」したデザインではなく、永野護が一切の制約なしに描いた「永野ワールド」が、CGを使わずに映像化されているというだけで価値があると言ってもいい。
音響もいい。特に、主役機であるカイゼリンの駆動シーンはカイゼリンの威容も相まって、観客を圧倒する。
永野センセイの「やりたかったこと」が、ビンビン伝わってくる。
しかし、それを除くと本作は実にだるい。前半が過ぎると物語は冗長で、眠気を誘う。逆に後半のテロリストの襲撃・カイゼリン起動以降は、唐突な展開が多くなってくる。
基本はトリハロンとベリンの旅路がメインなのだが、これがダレる。彼らは旅をして、その途中で湿っぽい話をしたり、村に立ち寄って休憩したり、安いギャグシーンをしたりするが、テロリストの襲撃シーンまで本当に「それだけ」なのだ。わかりやすいエンタメっぽさが皆無で、眠い。
その上悪役も悪役で思わせぶりなことばかり言って、結局テロリストのボルドックス2騎をけしかけただけで帰ってしまうため、魅力もないしそもそも必要性に疑問がある。何より、「敵をやっつけてめでたしめでたし」というカタルシスがない。トリハロンが倒したテロリストは結局「鉄砲玉」にすぎない。敵の正体は一応終盤に示唆されるが、それだけで終わってしまう。
そしてそのだるさとか諸々を乗り越えた果てにあるラストシーン。物語の最後は、なんと文章のダイジェストで締めくくられてしまう!「トリハロンは皇帝になりました」「○○はこの後に大成して××になりました」というダイジェストで物語が終わり、エンドロールが始まった時は唖然とした。「これからも物語は続く」という終わり方なのは理解できる。だが、それでも限度というものがある。まるで「やることやったから後はいいや」という永野センセイの本音が聞こえてくるようだ。
本作の見所といえるGTM(ロボット)の戦闘は、一瞬ながらカッコイイ。
しかし本作の花形であるはずのGTMの戦いはたったの一度きりで、わずか数分で「カイゼリンの圧勝」という形で終わってしまう。FSSを知っている身として、一瞬で終わった理由は理解できる。GTMは強大な力を持つゆえに、実際の勝負は一瞬で決してしまうということはわかるし、リアルの話をすれば、あんな線の多いロボットを長時間のアニメにしたらアニメーターが死んでしまう。
だが、事情を鑑みてもあまりにも花がなさすぎる。現実を考えるなら、多少妥協してもわかりやすい娯楽的シーンは必要だ。
これに加えて、鳴り物入りで登場しておきながら結局あの「ザ・バング」の始祖であるはずの「破烈の人形」は、戦いを遠巻きに眺めていただけで帰ってしまう!
結局まとめると、GTMは「娯楽として作られていない」のだ。
例えるなら「映像で見る永野ワールド」といった感じで、従来のアニメ映画的なカタルシスは、全くない。
本作は例えるなら「壮大な同人作品」のようなものだ。分かる人は、ものすごい楽しめる。なにものにも代えがたいベストムービーになるだろう。
だが、そうでない人にとっては単なる「キレイなだけのアニメ」になるだろう。僕にとって、GTMは後者の作品になった。FSSを読み込み、デザインズを買うぐらいハマれば、僕もGTMに100点をつけてやれたのかもしれない。