大失速。特に2クール目は、ギャグで「ポプテピピック」に負け、テンポで「宇宙よりも遠い場所」に負け、というお家芸の二つのお株を奪われた散々な結果。7、10、11、12、16、19、21、23話が特に駄目だったかな。「悩むイヤミさん」とかもう擁護しようがなかった…。これは脚本が悪いのが最大の要因。1期のおそ松さんは六つ子にキャラを持たせ、クズなニートが社会の軋轢と戦いながら好き勝手暴れる…というドタバタこそが革新的だった。つまり1期で各キャラを掘り下げるところまで行ったのだから、2期はそのキャラをどう動かすか…つまり脚本こそが最重要だったのに、全て松原透が一人で担当した(1期は数人で書いた話が多い)からか明らかに失速。3期があるなら是非ともそこに注意して欲しい。とは言え、失速する前…特に前半の「超洗剤」「キャンペーン発動!」なんかは非常に面白かったよ!
本作を見れば分かるでしょ? 原作の雰囲気を壊す事なくアニメを作れ、という全国のアニメファンの要求がいかに難しいか。それは失敗例より、この「ゆるキャン△」のような成功例を観る方がしみじみ理解できる。背景の作り込み、雰囲気を壊さないよう丁寧に鳴り続けるBGM、そして各声優陣の癒やし演技。志摩リンが最強に可愛い。より東山奈央のファンにあった。
評価は「とても良い」、というかここ数年のアニメと比べて作り手の意気込みも出来上がりもレベルが違う。圧倒的な作品ではあるが、デビルマンの原作を結末まで描くアニメとして評価が賛否両論(驚くべき事に否が若干多い)なのも頷ける。そもそもデビルマンという漫画は一つの伝説であり、「魔法少女まどか☆マギカ」も「進撃の巨人」も、更には「新世紀エヴァンゲリオン」も多大な影響を受けている。そして現在、この三作から影響を受けた作品も掃いて捨てるほどある。主人公が信じていた世界が実は全く違っていた、という今となってはありありの展開は全てここに遡れるのだから当たり前か。なのでいくら完璧に作り上げても賛否が出るのは当たり前なのだ(むしろこの伝説的作品をあぁいう実写映画にする事を誰も止められなかったのが恐ろしい事だ)。湯浅政明という奇才の手にかかり、今の若い人が新たにデビルマンの入り口を見つけた事、その事実を喜ぼうではないか。裏切り者の~名を受けて~♪
今回の「DEVILMAN crybaby」で感心した改変。かつてデビルマンのアニメは存在したが、原作のアニメ化ではなくデビルマンはスーパーヒーローだった。今作では、「かつてスーパーヒーローアニメ『デビルマン』が存在した世界」が舞台となっている。まず次々に世界で現れる悪魔が明らかになり、次にそれと戦うデビルマンの存在が明らかになる。しかしそれは飛鳥了の手で、しかもスーパーヒーローではなく悪魔の仲間だという位置付けで告発される。現代的なアプローチだ…。あと、まさか不動明が飛鳥了に「あ~ん」する場面があるなんて。結末を知っている人へのサービスか?。
本作は「女子高生四人が南極へ行く」と紹介される事が非常に多いし勿論間違っていない。主人公が女子高生である事に対し重きが置かれていない、一方で必要不可欠な設定であると思う。つまり本作は「日常系」「キャラ萌え」の要素を最小限に抑えた作品である(皆無とは言っていない)。ライトノベルより大衆小説に近い。とにかく絵はひっきりなしに動き、カットは小刻みに変わる。この素早さは快楽的ですらある。要するにテンポが素晴らしい。そして散々語り尽くされている通りの脚本の素晴らしさ。ランクが下の親友を見下しながら安心を得ている、その平穏が崩され自身も崩壊していくめぐっちゃん、これまで知る事のなかった友情という形のないものを形のあるものにしたい結月、息をするように名言を呟きながら、誰よりも大人に憧れる日向、史上最強に性格が悪いヒロイン・報瀬、そして何事にもアンテナを伸ばし、吸収し、みんなを導くコンパスの役割を担うキマリ…。各キャラが恐ろしい程に生き生きしている。そして彼女達が成長していく舞台に選ばれた南極は、「問題は2018年になると直のセカイ系は厳しいし、かといっていつまでも「終わりなき日常」に耐えるとかダルすぎる。その中で『宇宙よりも遠い場所』は南極=横=非日常を疑似セカイ的に描いている」という坂上秋成氏の指摘通り、まさに「宇宙よりも遠い場所」だった。最高最強のアニメーション。