5周年記念の劇場上映を鑑賞。
圧倒的な「母になる」ということ。「母である」ということ。親は子のために何をしてやれるのか。たぶん、この映画は観た人の立場によって大きく感想が変わるタイプの話だと思う。人の親になったことのある人であれば平常心で観られないであろうシーンがかなりあった。
岡田麿里さんの作品をちゃんと観たのはこれが初めてなんだけど、予想以上に生々しい作風、感情をえぐるタイプの物語だなという印象。作家性が強い。個人的にはあまりクリエイターの性別と作風を結びつけたくはないんだけど、今作は特に「母親」を経験した者だけが辿り着ける境地のようなものもあったような気がする。子供を産み育てるという、人類の半分が経験しようのない境地をある種疑似体験させてくれる作品でもあった。本作には実にいろいろな「母親の在り方」が登場する。マキア、レイリア、ミド、ディタ。このうちマキア自身は出産を経験していないこともあり、より普遍的な描き方になっているように思う。レイリアやディタをめぐる描写は結構生々しくてちょっとぎょっとするところもあったけど、きっとそこに「母親のリアル」があるのだろう。
そして母親になったことのない、なりようのない人間であっても、確実にわかることはある。誰だって、母親から生まれているからだ。自分の母親に対する感情は人によって千差万別だろうけど、彼女が感じていたかも知れない感情をこの映画から想像することはできるし、エリアルの苦悩も感じ取ることができる。やはり「父と子」とはどこか違う関係性を感じる。
「母親性」と並行して、イオルフの長寿という設定がまた心をえぐる。イオルフは何も変わらないのに、時は過ぎ、エリアルたち人間はいつしか勝手に大きくなり、いつか親から離れて彼らの人生を歩んでいき、さらに次の世代に何かを伝えていく。永遠なんてものはなくて、いつか別れの日が来る。それでも親は子にとってちゃんと親であれたのだろうか。子は親の人生に何かを与えることができたのだろうか。たぶんお互いに自問し続けるのだと思う。
登場人物の行動原理がかなり感情ドリブン(しかもわりとドロドロした重い感情)なので、プロット全体としては気になる部分もあった。これは自分がキャラより物語構造のほうが気になってしまいがちなせいもあるかもしれない。ただ、その分、キャラの声にならない叫びや慟哭のようなものが強い力で物語をドライブしているのが感じられた。また音楽と美術が本当に美しかったので、大画面で観て良かったと思う。