自分の気持ちを相手に伝えるだけでなく、相手の気持ちを聞くということが大切。
一方的でなく、お互いに想いを伝えあえる関係性。
対話の重要性を説いた7話だったと思う。
こむぎがプリキュアになったきっかけは「いろはを助けたい」だった。
しかし今は「いろはの想い(みんな元気、みんな仲良し)を守りたい」に変化していた。
「いろは(だけ)の役に立ちたい」という枠から、片足分くらい外に気持ちが出た。
つまり「いろはが自分にしてくれた(初めて出会ったときに助けてくれた)ように、
ガルガル(いろは以外の誰か)を助けたい」という想いに変化した。
これにより、こむぎも「フレンドリータクト」を使えるようになった。
やはり「いろはが使えるから自分もやってみたい」程度の想いでは使えない。
「自分以外の誰かのために」という気持ちがなければ、相手とフレンドリーに(関係性を築くことは)できないということか。
けんかエピソードを通じて、こむぎといろはの絆はさらに強固なものとなった。
次回、いよいよ新学期である。
視聴日:2024/3/23(土)
脚本:成田良美/演出:土田豊
改めて、こむぎは人間ではなく犬なんだということが強く示された。
いろははこむぎのことを「(喋れるようになった)飼い犬」としか見ていない。
こむぎは「(人間の)いろはの役に立ちたい」と従順な犬どまりの関係性である。
こむぎが「フレンドリータクト」を使えるようになるには、何が必要だろうか。
「いろは(だけ)の役に立ちたい」というマインド?
次回に期待。
視聴日:2024/3/10(日)
脚本:成田良美/演出:鬼頭和矢
「リードをつける」のは、"つける側"が"つけられる側"を支配する行為だと思っていた。
"つけられる側"がどこかへ行かないように、"つけられる側"が他の人間や動物に迷惑をかけないように、"つける側"が監督・管理するために「手綱を締める」のだと考えていた。
しかし「リードは信頼の証」というセリフで気が付いた。
信頼が無ければ、リードはつけられない("つけられる側"に嫌がられる)。
一方的な支配ではない。対等な信頼関係があることが重要なのだ。
私の中で「リードをつける」ことの意味合いが変わった。
そういう意味だと、猫がリードをつけて飼われないのは……
警戒心が強くて信頼関係が生まれないのだろうか。
視聴日:2024/3/9(土)
脚本:井上美緒/演出:野呂彩芳