OPからして奇抜で不気味さを予感させる。
嫌なことから逃げようと、現実逃避=妄想すると、それを実行してくれる「妄想代理=少年バット」が現れる。
かなり最後まで、少年バットは空想の存在で起きている現象は現実的なものなのか、ファンタジー要素が入っているかがわからず、それだけを知るために最後まで観た。
結局は、自分が昔殺してしまった飼い犬マロミをヒットキャラクターにした月子が生み出した、ファンタジー的存在が少年バット。
最終話で「さようなら」と消えていったときに、
第1話で少年バットが「ただいま」といって現れた意味がわかってぞくっとした。
どこにでもいる、平凡な人々の群像劇であるのもまたポイント。
「妄想」という主軸をもとに、各話で様々な社会テーマをサブ軸にしている。
1話=ヒット作品を生み出すプレッシャー
2話=クラスの人気者の偽善的な姿と挫折
3話=二重人格
4話=ヤクザにたかった末路
5話=聖戦士というファンタジー世界への逃避
6話=父親による盗撮、マイホームの夢、ホームレス
7話=ここら辺から、真相に近づいた馬庭がイマジネーションの世界に取り込まれていく
8話=ネット集団自殺。主人公3人は、いつのまにか自分たちが死んでることにも気づかず死のうとしたりするのだが、音楽も含めて明るく描かれているのがまた不気味さを出している。自分たちの影がなかったり、飛び込み自殺をした人が復活した姿をみたり、ネット掲示板でFOX(=狐塚)とやりとりしている時系列のおかしさなどがある。イマジネーションの存在であっても少年バットには影があるし、死者や少年バットを熱烈に待ち受ける人からは逃げることがわかる。
9話=おばちゃんたちの井戸端会議。少年バットの人殺しが加速していることがわかる。
10話=アニメ制作現場の解説と実際にありそうなトラブルのオンパレード。
11話=病弱な体と不妊。猪狩の妻が、少年バットの正体と対抗法に気づき少年バットを初めて退ける。ただ、妻の猪狩への理解と、猪狩の妻への理解は必ずしも一致していないことが描写されている。
12話=世の中のあらゆるところにマロミが浸透していて、一種の洗脳キャラのような印象をうける。マロミと少年バットはつながっていて、同じ立場なのかと思いきや、マロミは月子を少年バットから守るため、自分のせいか考えないように誘導してきたことがわかる。
13話=月子がマロミの死の責任を認めたことで、少年バットとイマジネーションの影響は消えるが、これまでの事件で影響を受けた人物が、次のループの人柱にすげ替えられ、別のパラレルワールドのようにまた同じことがおきる可能性を示唆している。
現代社会の人間の負の面をこれでもかと、いやらしいキャラクター(見た目・内面ともに)をいやらしく描き、だれもが抱えうる闇を見せつけられる。
世の中、聖人君子などそうそうおらず、裏ではとんでもない人もいるものである。
闇に手をだして戻れなくなった人は、妄想に逃げ、追い詰められ、犯罪を犯したりする姿も描かれている。
最終話でループが示唆されているのは、こういった人間の現実逃避と妄想はなくならない、というメッセージだろうか。
とにかく救いがなく、鬱屈として嫌気がさす作品だが、それによって視聴者が、どのように妄想に逃げずに生きるかを考えさせるものでもあると思う。
「イマジネーションと現実の融合」、今敏のテーマそのものであった。