京都みなみ会館での今敏監督特集にて全話鑑賞。
初出がBS有料放送だったとは言え、この作品が放送に乗ったのかと思うと勇気あったな、と思うのと同時に、当時の日本はまだまだこんな作品を許せる余裕があったのかな、とも思った。
ストーリーの構成として、中盤までと中盤から終盤、そして最終盤の3段階に分けられるかなと思うのだけれど、見ようによっては中盤までが壮大なマクラ、中盤から終盤までがやりたかった事で最終盤は伏線回収用、のようにも思える。この構成がどんな風に考えられたものなのか、何か手がかりになるものがあればよいのだけれど。
筋書きは、ちょっと「ノーライフキング」を想起させたけれど、それ以上に冒頭のSNSでの中傷など2020年現在にも充分通用する描写があり先見性もあったように思う。ただ、今敏作品全てに言える事だとも思うけれど、この作品も現在時点で公開されたなら、意味不明でストーリーが破綻している、などと言った評価も受けかねないもののように思う。
あまりノスタルジーに浸るつもりはないけれど、それでも、00年代はまだまだ自由があったんだな、と思う。そういえば04年は、初代プリキュアが放送された年だとか。
18/11/17
素晴らしいです。超名作
オープニング映像の不気味が、音楽平沢進によってより一層の不気味さを与える。
恐怖を感じればこの時点でこのアニメを受け付けない、もしかすると気持ち悪いから見ないと視聴者が感じてしまう始まり方。
私は平沢進も映像の不気味さも回を追うごとに自分がはまっていく感じがした。
馬庭はストーリーの後半で「マロミと少年バットは同じ」という事を何回も言っている。
(みんなの救いになっている点、すぐに世間に広まった点)
少年バットは「自分のせいでは無い」、「全部少年バットがやった」という責任転嫁の思いが頭の中で具現化した存在。
そしてマロミは自分自身を励まし肯定してくれる存在。
少年バットは心の中の代理人であり、マロミは心の中の代弁者。
マロミはポジティブに、少年バットはネガティブに広まる。
少年バット自身にとっては何の利益もならないけど、
頭の中で生み出した人にとっては、少年バットのせいにする事でなにかしらの利益が得られる。
少年バットは人の嫌なことを請け負ってくれる救世主という事がわかる。
最後まで見た。2回見た。でも結局、謎はあるし、理解できない部分もたくさん残る。スッキリしない。
そもそも妄想代理人を製作した今監督が「あえて謎を残す形でアニメを作っている」、
「何か解釈すれば綺麗に謎一つなくなると思ったら大間違い」と今監督がラジオで語っている。
全て理解できないのは仕方ないかもです。
それでも、このアニメはストーリーに謎が多い分、考えながら見たし、自分の責任転嫁事情とかぼんやり考えたりもした。
アニメの面白い・つまらないはネットの賛否見たけど、
私はアニメを見ながら自分のことと照らし合わせることができる謎なアニメは面白いんじゃないかと思います。
→内容・題材
ある連続事件を題材としてその真相を探る形で進む物語。『パプリカ』などにも通じる、"真面目に見てると頭がおかしくなる感"が強い。ミステリー的に伏線回収とか衝撃の結末とかがあるわけではない。
→キャラクター・声優
特筆事項はなかった。
→好きなポイント
同上。パプリカと合わせて独特な世界観を楽しむアニメとしてなら他人に勧めてもいいかな。
記録
巷を騒がす少年バットは果たしてヒーローか妄想か⁈
真相が浮き上がるにつれ、夢が醒めるように魅力が薄まっていった気がする。また、アニメ制作現場の下りは私情が入っているように見え、必要だったのか疑問が湧いた。
OPからして奇抜で不気味さを予感させる。
嫌なことから逃げようと、現実逃避=妄想すると、それを実行してくれる「妄想代理=少年バット」が現れる。
かなり最後まで、少年バットは空想の存在で起きている現象は現実的なものなのか、ファンタジー要素が入っているかがわからず、それだけを知るために最後まで観た。
結局は、自分が昔殺してしまった飼い犬マロミをヒットキャラクターにした月子が生み出した、ファンタジー的存在が少年バット。
最終話で「さようなら」と消えていったときに、
第1話で少年バットが「ただいま」といって現れた意味がわかってぞくっとした。
どこにでもいる、平凡な人々の群像劇であるのもまたポイント。
「妄想」という主軸をもとに、各話で様々な社会テーマをサブ軸にしている。
1話=ヒット作品を生み出すプレッシャー
2話=クラスの人気者の偽善的な姿と挫折
3話=二重人格
4話=ヤクザにたかった末路
5話=聖戦士というファンタジー世界への逃避
6話=父親による盗撮、マイホームの夢、ホームレス
7話=ここら辺から、真相に近づいた馬庭がイマジネーションの世界に取り込まれていく
8話=ネット集団自殺。主人公3人は、いつのまにか自分たちが死んでることにも気づかず死のうとしたりするのだが、音楽も含めて明るく描かれているのがまた不気味さを出している。自分たちの影がなかったり、飛び込み自殺をした人が復活した姿をみたり、ネット掲示板でFOX(=狐塚)とやりとりしている時系列のおかしさなどがある。イマジネーションの存在であっても少年バットには影があるし、死者や少年バットを熱烈に待ち受ける人からは逃げることがわかる。
9話=おばちゃんたちの井戸端会議。少年バットの人殺しが加速していることがわかる。
10話=アニメ制作現場の解説と実際にありそうなトラブルのオンパレード。
11話=病弱な体と不妊。猪狩の妻が、少年バットの正体と対抗法に気づき少年バットを初めて退ける。ただ、妻の猪狩への理解と、猪狩の妻への理解は必ずしも一致していないことが描写されている。
12話=世の中のあらゆるところにマロミが浸透していて、一種の洗脳キャラのような印象をうける。マロミと少年バットはつながっていて、同じ立場なのかと思いきや、マロミは月子を少年バットから守るため、自分のせいか考えないように誘導してきたことがわかる。
13話=月子がマロミの死の責任を認めたことで、少年バットとイマジネーションの影響は消えるが、これまでの事件で影響を受けた人物が、次のループの人柱にすげ替えられ、別のパラレルワールドのようにまた同じことがおきる可能性を示唆している。
現代社会の人間の負の面をこれでもかと、いやらしいキャラクター(見た目・内面ともに)をいやらしく描き、だれもが抱えうる闇を見せつけられる。
世の中、聖人君子などそうそうおらず、裏ではとんでもない人もいるものである。
闇に手をだして戻れなくなった人は、妄想に逃げ、追い詰められ、犯罪を犯したりする姿も描かれている。
最終話でループが示唆されているのは、こういった人間の現実逃避と妄想はなくならない、というメッセージだろうか。
とにかく救いがなく、鬱屈として嫌気がさす作品だが、それによって視聴者が、どのように妄想に逃げずに生きるかを考えさせるものでもあると思う。
「イマジネーションと現実の融合」、今敏のテーマそのものであった。
OPが勝確演出なの、優勝してんの
現実と妄想の 曖昧な境界
連続殺人事件とその裏にある人間模様
ひとつの真実から逃げた少女
発端は、たったそれだけのことだった