※ネタバレレビューです。
ここ数年増えてきた言い回しに「~しかない」という言葉がある。いわく、「感謝しかない」「感動しかない」「かわいいしかない」など。
本当にそうだろうか? 「~しかない」と言い切れるほど僕たちは言葉を尽くしているだろうか? 人類史上例をみないほどにテキストが溢れている現代に、言葉はどれだけの力を持っているのだろうか?
本作『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、手紙の代書屋である主人公ヴァイオレット・エヴァーガーデンが言葉を尽くした先の物語だ。
開始早々、映像やレイアウトの素晴らしさや、日本のアニメ界ではおそらく最高のオーケストラ曲を書くEvan Callによるストリングスを主体とした美しい、映像によりそう音楽に心を奪われつつも、TV版をみていた人なら何かおかしいことに気づく。開始5分も経たないうちにもう泣けてきてしまうのだ。
例えばハリウッド映画などは、何分何秒あたりに主人公の危機が訪れ、何分何秒あたりでクライマックスを迎えるといったテンプレートがあるらしい。そのような映画を見慣れた僕らは、本作の「感動の設計」のセオリーから逸脱した——今風に言うなら「バグってる」——物語の進行に心をかき乱され続ける。
物語は、曾祖母がヴァイオレットに手紙を代書してもらっていた若い女性がヴァイオレットに興味を持ち、その足跡をたどるエピソードと、代書屋をしていた時代にヴァイオレットが病気で入院している少年ユリスの代書を頼まれるエピソードと、その数年前、ヴァイオレットが「戦争の道具」としてジルベルトに使われていた時代のエピソードで展開される。それらに加えて物語をみる僕たちの時代、と時代は重層的な構造になっている。電話、手紙、対面、インターネットと時代や手段は違えど通底しているのは「伝達」だ。物語内では、手紙(文字)、電話、灯台、モールス信号、電波塔、葡萄運びのロープウェイ(で送られる手紙)など、伝達手段のモチーフが色々出てきて、うつろいゆく時代を描く舞台装置としても効果的に使われている。
テクノロジー賛歌……とまではいかなくても、文明の発展をポジティブにとらえている側面が本作にはある。危篤に陥ったユリスのためにアイリスとベネディクトが車を飛ばして病院に急ぐシーンもその一例だろう(ところで、アイリスとベネディクトはとても京アニらしいキャラクターで、見ていて思わずにやけてしまう)。その観点から、技術職の方々はより違った見方ができるかも知れない。また、物語の中では電話が普及することで代書屋の仕事がなくなってしまうと憂うエピソードがあり、これなどは近年人間の仕事がAIに取って代わられるなどと喧伝されている現代にも通じるだろう。
本作のテーマはどストレートに「愛」であり、さまざまな愛の形が描かれる。ヴァイオレットのギルベルトを思う気持ち、ホッジンズがヴァイオレットを思う気持ち、親が子を、子が親を、人が友人を思う気持ち。その中でも、ギルベルトの兄ディートフリートのキャラクターが実にいい。TV版ではギルベルトやホッジンズに対して強硬な態度をとっていたディートフリートだが、本作では彼らに不器用ながらも謝る姿が描かれる。
そして不器用なのは兄だけでなく弟ジルベルトも同じだ。同じ経験を共有し、同じ思いを抱いていながらも、ヴァイオレットとジルベルトの行動は真逆だ。
ヴァイオレットに言った「心から、あいしてる」というギルベルトの言葉は、ヴァイオレットにとっていつかギルベルトに会えるという祈りの言葉になるが、ギルベルトにとってはヴァイオレットを戦争の道具にした後悔を増幅させる呪いの言葉になる。その後悔から、会いに来たヴァイオレットと頑なに会おうとしないギルベルトだが、兄の助言で会おうと決心し、ヴァイオレットの乗る船へと向かう。
何度もさざ波のように感動がよせてはかえす「バグってる」物語は、このクライマックスで文字通り最高潮を迎える。
丘の上からヴァイオレットを呼ぶギルベルトの声を聞いた途端、ヴァイオレットは躊躇なく船から海に飛び降りる。元兵士(戦争の道具)だった能力がここではポジティブに描かれている。
ようやく対面するふたり。しかし、代書屋として言葉を紡ぐのが上手になってきたヴァイオレットでも「私……。私……」しか言葉が出てこず、自分でももどかしいのか太ももを何度もこぶしでたたく。ここで物語は言葉を超える。140分の映画でアルバム3枚になるほど多くの劇伴が流れる本作で、それまで流れていた音楽がなくなることがより一層ヴァイオレットの気持ちを際立たせる。そこからのTV版エンディングテーマ『みちしるべ』の回収、映画のエンディングと(完結編と銘打ってはいないものの)これ以上ない内容で映画は完結する。
「あいしてる」も少しはわかるようになったヴァイオレット。
紫の菫の花言葉は「愛」。
私事だが、僕の母は数年前から病気で病院に寝たきりになっており、もう僕が誰なのかもわからない(のかわかってるのかこちらにはわからない)状態になっている。COVID-19がなんらかの収束を迎えるまでは面会もできない。そうなる前に僕は母に「生んでくれてありがとう」と言えたのを、とても良かったと思っている。不確かなものが多いこの時代に確固たる自信をもって、やって良かったと思えることはそう多くない。優等生っぽく説教くさくていやだけど、これを読んだ方々が大切な人に本当に「~しかない」言葉を送れたらいいなと思う。