歌はどこにあるのか、第4話(歌を歌おう)を中心に、各話を観ながら、歌う事について色々と思いました。歌はどこにあるのか。第4話では、どんな気持ちになってほしいか、誰に、どんな場所で歌われるのか、という問いかけがされました。楽譜の上か、再生された音か、歌う私の中か。私はその土地だと考えました。あの時は、歌って踊って、反応してくれた村の人たち(観客)に今度はちゃんとした歌を届けたい、その想いが進む力になったと思います。
土地に息づいた歌は、それを歌い広げた人によって、そこにあります。「take on」、今回の挑戦は、歌う"意味"についてそのように開かれていたと考えます。
過去に歌われた歌が彼女たちの進む力になったように、歌はきっと今現在だけに響くものではありません。未来に響き、聞く人のそれぞれの過去を通して過去にも響きます。
エリーとアイラが新聞に映り込んだ様子は、少し心霊写真のようでした。観客席の揺らめきにもそのような意味合いを感じます。私はそれを好ましく思います。あの場に集った世界中の人々はそれぞれを知りません。つまりいないはずの人がいても誰も気がつきません。舞台は解放を記念する喜ばしい場ですが、それと同時に、街と世界中の一つの区切りとして、鎮魂の望まれる場でもあったのではないかと思います。それは"今まで感じたことない楽しい"でした。そういえば、裏でだいぶ活躍してくれたフェリシアは、彼女たちの歌声を通して、演奏者だった亡き(おそらく)夫と再会します(夫の写真を見つめます)。
いるのかいないのかわからないもの。使い魔、私の心、大切な誰かの存在。思い出に、まだ見えぬ未来。触れようとすれば消えてしまうそれらを描ききった温かな、そしてとても好きな最終回でした