Annictサポーターになると広告を非表示にできます。
全体
とても良い
映像
とても良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
とても良い
音楽
とても良い

 シリーズ『化物語』の前日譚『傷物語』(第零話「こよみヴァンプ」と副題)が原作の劇場版アニメ3部作『傷物語 I 鉄血篇』、『II 熱血篇』、『III 冷血篇』の総集編映画が『傷物語 -こよみヴァンプ-』(ふと考えたらややこしいですね)。
 私はあまり総集編と意識せずに観ました。
 最初に意識していたのは情報の出し方のうまさでした。私は吸血鬼だ。「私」がそうなった経緯。それ(その吸血鬼)がそこにいた経緯。安全地帯を得た経緯。(吸血鬼にしても)異常な強さ(疑問)とその理由。食事。…疑問が答えになる時期が心地よかったです。また3Dと2Dの混ざり具合に相当の労苦を感じました(労苦を感じつつ、現実世界で私はどうして、人間と都市の混ざり具合にどうして私は違和感を感じないのだろうとも思いました。都市の建物のツルツルした質感に対して、ヒトの肌はザラザラしています。不思議です)。
 羽川翼の側で観ました。本当に阿良々木暦に好意を持ち、自分本位にこの一件に関わろうとしています。本当のことしか言っていません(と考えると、本当のことしか言わない人の「本当」はおそらく本当と言えないのではないか、と思いました)。その好意は阿良々木暦には伝わりません。その視点からは全く聖人の行いに見えます。なぜなら、阿良々木暦は人が自分に対して好意を持つこと自体を受け止められないからです。
 なぜ総集編と感じなかったかで言い直してみますと、私はかつて阿良々木暦の側で観ていたからだと思います(3部作からそうだったのか、総集編でその側面が強まったのかは昔の記憶が曖昧でわかりません)。その視点から見れなくなってると強く意識しながら観続けました。
 河原の会話で特に強く意識されました。話している内容が全てではありません。なぜ話し続けているのか。他愛もない話を、です。決戦前夜のキスショットと暦の会話でも同様のことを感じました。体育倉庫の会話では(昔嘘かそうでないかで考えたのを思い出しました)嘘は目を瞑るようなものだ、と思いました。嘘をつく時は目を瞑る、とは違います。
 羽川翼の本当のことが阿良々木暦には通じません、そのことが昔はわからなかった気がします。(確か)忍野メメが羽川翼を語る場面で、鏡(鏡のような建物のガラス)に映る羽川翼に、鏡の様な目を持つ少女だと思いました。キスショットの本当のことを阿良々木暦に伝えてしまった羽川翼は眼鏡の奥で目を強く瞑ります。鏡のように一致していた何かがずれ始めたと思いました。
 阿良々木暦には通じません。適用されません。本当のことの有無で対応が変わらない様には普通の人はできていないからです。殺せなくした罪が恐らく、頭痛になって(と分かるのは原作シリーズを知ってるからかもしれません)羽川翼の場面が終わるのが印象的でした。
 別の書き方でメモしていたのでそちらも残してみます。言葉と状況が矛盾します。例えば、「みんなが幸せになる方法はない」と忍野メメは告げて黙ります。もしもそれで終わりなら立ち去るはずでした(立ち去らないことには意味があり、それに羽川は気づいていました)。結局、忍野メメは自らの信条とする「バランス」を放棄して話し出しました。それは忍野メメにとって(重大な)ルール違反だったろうと思いました。
 大人形態に戻ったキスショットが、話すこと自体に意味がある、と阿良々木暦(我が従僕)と他愛もない話をした場面が好きでした。
 念のために追記です。現実に、全ての言動の裏に裏の意味があるはずだ、と考えると、やばいことになるので、その点は念のために注意喚起します。人は結構雑に生きていると思います。



Loading...