過去回。想像したよりも家族的な師弟関係で、修行風景と家庭的な思い出とが交互に示される一枚絵繋ぎの時間経過が面白い味わいでした。茶太郎と夜胡が行っていたミタマ鎮め依頼ポストの回収を同じように行っていた絵にほっこりしました。
尽義(と幸人)が脈継ぎとしての衣装ではなく、一般的な格好をしていたのが、はっとさせられる光景でした。遊びに近い(生得的な術の能力に慣れ親しむ)段階で師匠と別れたんだと思うと、今まで考えていたのと少し印象が変わって感じられました。脈継ぎとしての元服の儀、みたいのもあっただろうと想像して、楽しかったです。
想像といえば、冒頭あたりでちらっと映った井戸が、地下に霊脈があると認識してるこの島では井戸を掘るにもちょっとした儀式があるんじゃないかと想像しました。ちょっとずつ日常的なものの中に違う感覚が入れることができるようになるような感覚が、観ていて好きだと思います。
伊吹朱の力に対する渇望は師匠との関係を想像していましたが、鞍馬の傷も関連してくるのは予想以上で目をひかれました。
過去の振り返りというと、決定的な変化が起きた出来事を描写するので、劇的なものになるのが自然と思います。劇的な、けれど家族の歴史の振り返りが重なって、どこか静かな雰囲気もまとって、面白い味わいをかみしめました。
(だいぶ前にみたうろ覚え感想)
(何を見て何を見ていないか正確に記憶していませんが、おそらく)ディアボロモンの逆襲以来のでした。なんとなく惹かれるものを感じて観に行きました。
それを手放した私は私ではないと思っちゃうな、とそれを見て思いました。私はこの目の前の箱によって影響を受け続けています。これがあることでこれと共にあるこの私の人格は生えてきたとも言えるし、ちょっと寄りかかりすぎているかもと省みる機会にもなりました。
と、同時に、確かにデジモンのそれを肯定することはそのような意味を含んでいた、と頷きました。
と文章を書いていて気づき(生じ)ましたが、ルイとウッコモンの結び直し自体が、それがなくても成立するものとして成立しているのかもしれません。出会いのきっかけにはなっても以降それが機能することはなかった、と記憶しています。
頷きながら、それを否定しても、身体を否定しなければ(否定することの是非はおき)、片手落ちのようにも感じました。身体に寄るのは、それに寄るのと、そのような意味の次元では同じことと思うからです。
と観終えた時には思いましたが、書き出してみてこれは斜に構えた見方というものかもしれないとも思います。
過去にあれだけ価値観の断絶していたウッコモンが話の通じる存在になってたことに、マジでずっと観測し続けて、ルイを、またニンゲンというものを理解しようと続けたんだなと想像が働いて、ヘキでした。人外に己れを理解されてしまう時のぞわぞわが私はたぶん好きです。ストーリーとか、流れで物事を理解する(そういったものは本来存在しないとみることができる)のをニンゲンらしさの最たるもの、と思っています。
なんか満ち足りた気分になりました。満足です。思いだすと終わりが好きだったという印象が生じていました。
倫理も「愛」も煮込んで煮詰めて、最後に愛ゆえの報復で閉じたのの食後感がたぶんよかったです。
濃色日番谷隊長が好みだったので最初から好印象でした。
千本桜無双(かっこよし)から、ピンチになり方(普段無機物的に扱う)も、咄嗟の愛(斬魄刀への思い入れで折ることができず手放す)も、好きでした
冒頭のおさなご(特に髪の描かれ方に惹かれました)にほっと緊張をほぐされました。その後ずっと、なぜか観ていて緊張していました。百貨店があまり得意ではないことを思いだしていました。マンモスの彫刻家さんにはその緊張を覚えなかったのですが、空間に着慣れなさを感じているからかもしれないと疑問を抱えたまま数日経って思います。……だから何だという感じですが続きが思いつかないのでこれで終わります。
追記
声がだいぶ豪華な気がしました。
殺伐とした生活を送ってきた沢城みゆき声の強キャラに、間延びした日常をたっぷりと過ごしていただいた後に、その強靭な精神で抗うも抗いきれずに自我を失っていく様を描きたかった、という幻聴が聴こえてきました。(それは私の欲望かもしれませんが)とても良かったです……。いくらなんでももっこりネタを天丼しすぎていてそういうキャラにしても観ていてつらかった記憶がありますが、とても良かったのでその感情を忘れました。
最初の第一声がとても印象に残る始まりの音でした。悲鳴のようにも、妖の鳴き声のようにも、場面全体の雰囲気をつくる効果音のようにも聴こえて、誰そ彼(時、夕刻かはわかりませんが)とわからないような怖さがあって、一瞬で引き込まれました。そこで見た(その集中した状態で見た)、目に炎の映る中で人が人でなくなる光景が、強く心に残りました。
今回のサブタイトルにも「大目玉」と目が入っていますが、目がとても気になって見ました。この物語の妖、アラミタマを象徴するものとして、大きな目玉が特徴的です。ミタマも龍脈からわきだしたエネルギーに目がついたと考えるとなんとなく気になるところでもあります。この目玉に対する注目を、どのように表せばよいか方向が定まりませんでしたが、宙に浮いたまま気になる回でした。
沈みかけの太陽の絵にもなんとなく目玉を感じながら見ていて(見終えたあと思いだしていてアラミタマが目を閉じて鎮まるのとなんとなくリンクするような気がしました)、(大師匠の弟子)仲違いしてしまった現役師匠世代の弟子たちが繋がりを結ぶところは、(定番といえば定番ですが)やっぱりなんともいえずよかったです。その後の夕日が残る空の様子が記憶に残りました。
書いてみてアラミタマの最後も良いものだったら良いとふと思いました
なんというかこう…雑に見ても楽しい作品で、どちらかといえば考えこんで作品を観てしまう質でよく視聴が止まるタイプなのですが、とても気楽にするすると視聴できています。特に好きで印象に残っているところでいえば、初見泉の決め手が好きでした。
伝説と闘神、気力体力経験の充実した武の頂点同士の対決の後、最高潮を迎えた後にどうするのか(なまなかな試合では見劣りしてしまいそう)と思った(といってもはっきりとそう考えたわけではなく一息ついてどことなく1番の見どころが終わったような気分になりました)ら面白い話の展開を持ってきて引き続き楽しく見れました。満身創痍で、しかして満を持して起き上がった王馬のその道行きに大いに期待が高まりました。(第12話part1まで視聴時点感想)続きも視聴します
言葉にも記録にもしたくない、と思いました。
私にとって感想はどれほど私的なものだったとしても記録で、だから感想が書けないと思いましたが、しばらく時間が空いてそれでもやっぱり何かを残したいと思ったので残すことにしました。
人が何事かの事象を認識するとき、その正しい形を認識して、そこから正しく応じる方法を正しい理解の過程を通って選択する、という形で選択することができません。そのようにできると考えられる事象はすでに記録の領分に入ってしまっています。そして、記録の領分に入ってしまっていると考える事象でも一個人の選択に限られた時、その人生において記録の領分に入りきることはないのでしょう(そんなことよりキスが…、本当に、本当にとてもよかった…と書いた方がいいんだろうなと思いながら書いています。キスが本当に、本当にとてもよくて、よかったです。すごく幸せで、…それでもやっぱり幸せだけが残りました)。
きっとだから、誰それの行動はよかったとか、誰それの行動は間違っていたとか、好きだったとか嫌いだったとか、そういう領分で考えたくないと思いました。
島の死生観(それによって生じる普通に想定される、悲しむことではなく笑顔で見送る死の悼み方の変化)と普通の葬送の形式との振動が興味深い回でした。鞍馬と火の気について、鞍馬の火傷跡でもう一枚裏がありそうで、鞍馬の人生観にも興味を惹かれます。噴火災害時にはヘルメットを被るような普通と、アヤカシによって生命を奪われる場合のそれを自然なものなのだと受け止める特殊と、その特殊を受け止められない人々の存在と、観光地区においてはその死生観(アヤカシ)によって奪われることを遠ざける結界と、そんな中で生じた普通の、人と人との交流、行人といばらの、静かに死を悼み、落とし物を届けて、届けられてお礼を言う、出来事が、それらをひっくるめてなんともいえず、好きな回でした。あとやっぱり、(ベタっちゃベタですけど)主人公がヒーローしてかっこよかったです。