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全体
とても良い
映像
とても良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
とても良い
音楽
良い

間違いなく今期で一番楽しみにしてたアニメであり、間違いなく今期で一番元気がもらえたアニメ。もうとにかくずっと楽しかった。楽しい時間がずっと続いた。この街に住んでみたいという感想が純粋に湧いてきた。

自分は今までアニメをたくさん見てきましたが(現在愛用しているこのサイトで数えると、900作品になったらしい)、その中で一番好きなアニメは何かと聞かれたら、「日常」と迷いなく答えられます。思えば2011年、たまたまNHKをつけたら見つけたのがきっかけ。その時の第一印象は今でも覚えている。「なんなんだ?これはいったいなんなんだ?」。2011年といえば中学一年生。当時はあたしンちやケロロ軍曹、コナン、ポケモンといった昔から見ている作品のほかに、MAJORやベルゼバブなど、少しずつ当時はやっていた少年漫画原作アニメにも触れ始めた時期。そんな中で見た「日常」は、あの頃の自分にはあまりにも衝撃だった。ぬいぐるみが追っかけてくる、大福を被る、流しそうめんでキレられる、と思ったら、いきなり空中帝国の話になり、謎の小話も挟まる。どんなアニメなのかをどう伝えるべきかいまだに答えがわからない。そんな明らかに「日常」ではない世界。
言語化が非常に難しいこの作品だが、当時から変わらない感想が一つある。それは「楽しい」。変なメッセージ性が無く、くだらない、へんてこなことを詰め込んだ世界がとにかく楽しかった。何も考えずに反射的に笑ってしまう。どれだけ心が疲れていても、すぐに元気になれる。そんな不思議な魅力がこの作品にはあった。一つのアニメを何周もすることは基本無いのだが(たぶん放課後ていぼう日誌の4周が他のアニメでは一番多い)、日常は30周以上は見ている。それは、部活や勉強や人間関係で疲れた時。このアニメを見ると本当にすぐに元気になれる。

あらゐ先生作品は、普通のギャグ作品とは違い、箱庭的な面白さを特徴としている。視聴者に「どうだ面白いだろ」と描くのではなく、こんなことがあったら面白可笑しいだろうとあらゐ先生の中で妄想ワールドを広げる。どんなことを伝えたいかではなく、何を作りたいかで考えている。あらゐ先生はインタビューの中で、先に枠組みを決めて書くのではなくて、書いているうちに思いついた面白いことをどんどん詰め込むように漫画を作るというスタイルでやっているとおっしゃっていた。あらゐ先生の妄想世界。その妄想に懇切丁寧に向き合って、あの世界を漫画として形にできた。
そんな箱庭的な面白さが、CITYではより極まっていた。「日常」も人を選ぶと思っていたが、これはより視聴者を選別している。日常では、シュールなギャグの中に爆発力のある笑いも組み込み、ギャグアニメとしての側面が強かった。しかしCITYは、あらゐ先生のワールドをより濃くして、爆笑ギャグというよりも、優しくへんてこでゆるい世界を全面的に押し出している。びしっと見せ場で全力投球ではなく、ずっと遊んでいる。テイストがかなり違っており、別のアニメとして捉えるべきだろうと思われる。もちろんどっちが良いかとかではなく、どちらも違う面白さがあった。そのため、このアニメを勧める時には、「日常」とは全然違う、でも新たな面白さがあると念押しして伝えている。

日常とCITYを比較するときに面白い観点の記事が見つかった。先ほども述べた『シュール』という言葉についての記事。
https://note.com/kumomajin/n/n726c85dbafb7
日常では、おかしなシーンをより際立たせるためにシュールなアニメ作りとなっていた。例えば、ところどころ挟まる定点カメラなどはまさにその象徴。一方で、あらゐ先生は、日常はシュールな作品ではないと考えている。それは、不自然なものを際立たせるのではなく、不自然の連続が自然だととらえているからである。それは笹原幸治郎のセリフである「「日々私達が過ごしている日常というのは 実は奇跡の連続なのかもしれん」という言葉に集約される。タイトルの「日常」も、ただのアンチテーゼではなく、おかしなことが起こりまくる、それがこの世界での日常なのだという意味合いが強い。そんなあらゐ先生の世界を、大衆向けに作り直したのが、アニメ「日常」。誰もがあの漫画を見て最初に感じる強烈なおかしさ。その個性を際立たせることで、ギャグアニメとしての意味合いを強めた。
一方で、アニメ「CITY」はシュールではない。非日常の日常という要素がより極まっており、よりあらゐ先生の頭の中の世界を忠実に再現している。これが日常とCITYを比べるうえで大きな構造の違いとなってくる。だからこそ、二つのアニメは根本から違うものであり、肩を並べるものではない。二つは違くて、どちらも良い。「日常」を頭から捨てたほうが良いと考える理由はまさにこれにある。

さて、日常とCITYの違いを挙げるのにもっと単純なのは、学校の話か、町の話かという違いであろう。CITYでは、町の中の住人がそれぞれ違う営みをしている群像劇的な一面が強い。ただ、群像劇らしく最後きれいに一点に集約するかと言えばそんなことはなく、でもそれぞれが全く無関係ではない。徐々に徐々に絡みが増え、同じ時間を確かに共有しているのがわかる。それをまさに体現したのが5話と9話。同時進行で各場面が進み、しかもそれが別の味の面白さを引き出しており、そして最後にまとまりCITYとなる。各々の濃い話をあえて画面を忙しくして描くことで、別々の話でも確かに同じ町で起こっているのだと強調され、それが最後の集結に効いてくる。おかしなことが同じ町で次々と起こるCITYという作品の本質を、ここまで巧みに表現してくれるのかと、もう言葉が出ないほど感動した。いろんな面白さがマリアージュして、一気に駆け抜けていく。この作品の楽しさを髄から味わえる素晴らしい回だった。
そんな、おかしなことが散乱している世界でも、軸となる話はあるから散漫にはならない。今回で言うと、まつりとえっちゃんパートや、南雲とにーくらのパート。きちんと時間軸が設定されたストーリーがあるからこそ、町の出来事を同時多発的に見ることができる。いわゆるサザエさん時空ではなく、同じ時空での出来事。だからこそ、一つ一つが独立した話ではなく、同じ町で皆が生きていると感じ取ることができる。これも、CITYという作品の個性をしっかり確立する、素晴らしい構造だなと感じました。

というわけでかなり長文で書いてしまったが、あらゐ先生の面白ワールドをさらに濃くして、この優しくへんてこな世界を楽しく描く、そんな作品でした。あらゐ先生の作風がもう遺伝子レベルで好きなので、とにかく毎回毎回楽しかった。このアニメに出てくるキャラは基本みんなバカで、そしてみんな優しい。そんな優しさがあるからこそ、心の底から元気がもらえる作品になりました。この街にどっぷりと漬かることができ、最高に幸せな3か月を過ごすことができました。

この世界を体現するアニメーションの出来ももう完璧。お遊びを全力で描く京アニさんもう大好き。何もかもが大好きな作品。
万人に受けるとは全く思っていないし、日常が好きな人に受けるとも思っていない。でも、誰かにとってのオンリーワンには間違いなくなれる。「楽しい」 「好き」。これがこの作品に一番合う感想かなと思います。13話を全力で駆け抜けてくれて、ありがとうございました。



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