面白い・つまらないで言えば間違いなく面白い作品ではあったのだが、個人的には「求めていたものと違った」という不満が拭えず、かなりの消化不良を感じた。
僕は、このアニメを見るうえで「なぜナツコの創作物は全てパロディなのか」「鶴山亀太郎監督を名乗る鳥は何者なのか」「なぜナツコは『滅びゆく物語』を好きな割に解釈は浅いのか」という三点にフォーカスしていた。
最後の一点に関しては「ナツコが『滅びゆく物語』を好きなのは真実だが、実態は『ルークが好き(≒キャラ萌え)』という形容が正確で、ゆえに物語そのものや他のキャラへの愛・注目が薄味に見えた」という形で答え合わせがなされたが、「なぜナツコの創作物は全てパロディなのか」「鶴山亀太郎監督を名乗る鳥は何者なのか」という問題にアンサーを出さないまま、本作は幕を閉じてしまった。
ナツコが『滅びゆく物語』の世界で生み出した創作は、6話の階段と最終回で生み出すルークを除いては全てなにかのパロディだ。僕はこのパロディのラッシュに「ナツコの超人的な技量を表現する」以上の理由があると考察し、具体的には「ナツコは何らかの理由で満足のいく一次創作ができなくなっていて、最終回でそれが解決されるのでは?」といった予想をしていた。
しかし、繰り返しになるが物語はその点にフォーカスしないまま完結する。これが僕が本作に感じている第一の落胆だ。
作劇の要請でパロディに走るナツコは、「他人の褌を借りて天才を気取っている」ようにしか見えない(全修の世界には庵野秀明も板野一郎もいなかったのかもしれないが)。この印象の悪さはナツコの魅力の欠如につながっており、劇中でのナツコの一挙一動にまるで心が動かず、作品にノリきることができなかった。7話における「人格破綻一歩手前の天才が周りを振り回しまくるけど、天才故になんとなく許されちゃう」という扱いも彼女の印象の悪化に拍車をかける。
「鶴山亀太郎監督を名乗る鳥は何者なのか」という謎も、本作は見事に放り投げている。
当初、多くの視聴者からラスボスと目されていた鶴山監督は「謎の傍観者」以上のパーソナリティが明かされることはなく、最後まで「自分の作品が変な二次創作をされたことに腹を立てている厄介原作者」「意味深に出てきた割にストーリーの縦糸には干渉しなかったよくわからない人」以上の存在にはならなかった。
なぜ『滅びゆく物語』という救いのない物語を作り上げたのか。なぜナツコと同じように死後『滅びゆく物語』の世界に転生したのか。何が「無駄」なのか。多くの視聴者が求めていた謎に対するアンサーは、ついぞ得られなかった。
総評すると、前半はオリジナルアニメゆえの読めなさを楽しめたが、後半~クライマックスで竜頭蛇尾に終わってしまった残念な一作。