尚文とラフタリアの二人のあのシーンを見た感情は、どんなに言葉を並べても表現することができない。そのくらい美しく、清く、安らかだった。(という言葉でも足りないのだ)
尚文が誰も信じられないのは、誰も尚文を信じてくれなかったことが大きい。
そんな中で、尚文が誰も信じられなくても、ラフタリアが尚文を信じてくれる、それは救いであり光だった。
きっと今でも尚文の中では、まだ誰かを信じるということは難しいかもしれない。ラフタリアに対してさえも。
だからまずは自分のことを信じることから始まればいいなと思います。
尚文がせいいっぱい自分自身を信じて肯定してほしい。
尚文を信じてくれたラフタリアを肯定するために。