※Twitterとふせったーの内容に加筆してます。
ようやく「かがみの孤城」見に行けました!めちゃくちゃ良かったです…いやこれこんなにも上質のミステリだったのか(辻村先生なんで予想すべきだったんですが)…伏線がすごく精緻で、そして真相が「自分がめっちゃ好きなパターン」でしたわ…。
伏線が丁寧なおかげで、自分でも途中でうすうす推理できてしまうんですが、逆にそれが心地よいというか「あっこれ好きなパターンのやつや…さあそこに向かってすべての伏線を拾っていけ…」みたいな気分になるし、「それ気づくやろ」って部分も「うん、でもだからこそエモいんや」ってなるやつ。
主人公の苦悩は、自分はよくわかってしまうタイプの人間でして、中学の頃のこといろいろ思い出して「ああ〜…」ってなるし、だからこれは中学生くらいの人達にぜひみてほしいし、大人になってから見ると自分の思春期を多角的な視点で振り返って昇華できる、気がする。
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以下、ふせったーに書いた内容:
すずめの戸締まりとも共通するけど例の「あなたの人生の物語」と近い構造で、未来を変える話ではないけどだからこそそれが救いになる物語。一足先に大人になった存在からの「大丈夫、大人になって」という肯定の力は大きい。
※すずめの戸締まりとあなたの人生の物語の共通項というのは、IOさん、イサイハクさん、ヒナタカさんなどが指摘されてたこれですねー。
https://twitter.com/isaihaku/status/1594677063306264577
かがみの孤城の場合は、相手は未来の自分ではないから円環ではないところがちょっと違うんだけど、逆に自分だけではないあの7人(+1)がバトンを渡して何かを託していく構造でもあって。この因果のパラドックスの持つSF性みたいなところが本当に良い。
あと、別にアキもこころの未来を知っているわけではないんだけど、自分の経験に裏打ちされた「大丈夫」であって、実際大人ができることはそれくらいしかないんですが、それでも託していける何かはあるのだと思う。未来の仲間たちから手を引っ張ってもらって救われた、だから逆に未来で彼らを支えていくという構造(スバルは喜多嶋先生より年長なのでアキの支えはないんだけどたぶんマサムネによって与えられた将来の夢が人生の支えになるのかな?)。たぶん普通に大人から「大丈夫」って言われるだけだと不信感しかない年代なはずなんですが、同じ時間を中学生として共有したからこそ、その大人にもそんな時代があったことがわかるし言うことも信じられる。というかむしろ大人視点で語るべき話なのかもしれないですね。大人からは大丈夫としか言ってあげられないけど、それでも本当に大丈夫だよと伝えたい、という。
さすがオトナ帝国の原監督だなあ。時代を超えて共闘するやつ、未来は大丈夫だよって言ってもらえるやつ、記憶消えるけど何か残るやつ、因果関係がぐるぐるするやつに弱いので、それがフルコンボで来てどうしようかと思いましたw
観る前は、感動、かけがえのない仲間、いじめに立ち向かう勇気、みたいなエモエモな方向を想像してたんですが、予想以上にミステリでありSFで、ロジックとエモのバランスが絶妙でした。孤島、謎の少女、鍵を探す、などのオーソドックスなミステリの上段にどんでん返し要素が数回あって、ただそのどんでん返しも途中でじわじわと推理できる類いのやつなので、推理の楽しみを味わえて最後には全部のピースを「自力で嵌められた」快感が残る。だからこの映画は、キャラで観る人も物語構成で観る人もどっちも楽しめるタイプの話だと思います。そしてきっと、すべて分かった上で観る2周目がめちゃくちゃ楽しめるタイプの話。
7年間+中学生という縛りがめちゃくちゃ巧いんですよね。7人がいた1985、1992、2006、2013、2020、2027という時代。たぶんアラサーくらいまでの人、それから40〜50代くらいまでの人であれば、これらの年代のどれかがそこそこの確率で自分の中学生時代と重なるはずなんですよ。だから、幅広い年代の観客が「自分の中学生時代」と重ねることができる。1999年だけがないのでその近辺だけ空白地帯にはなってしまいますが、まあ比較的時代に関係ない普遍的な描き方だったので大丈夫だったと思ってます。スラダンとかでも感じましたが、意識的にスマホとかを描かないようにしてますよね多分。そこに小出しにルーズソックス、ウォークマン、ゲトワとかの伏線を貼っていく。
真相、さすがに気づくやろっていうのはあって、スバルとか、せいぜいゲームウォッチ世代だろうからたぶんマサムネのゲーム触ってうすうすなんか気づいてると思うんですよ。明らかにオーバーテクノロジーなので、確信はないにしてもなんか変だ、でもまあこいついいやつだし深く考えるのはよそう的な。真相がわかったときも他の面々ほど驚いてなかった気はする。でもきっとそれがどこかで彼の原動力になるんだろうな。この辺はもう一回くらい観て確認しないとなー。ゲトワがパラレルワールド設定なのはエモいですよね。むしろこれがすずめの椅子的なやつか。
中学生の頃って本当に中学校と家だけが「世界のすべて」で、学校で何かつらいことがあるともう完全に逃げ場がなくて詰むんですよね。最近はもしかするとネットがかがみの孤城的なサードプレースになってるのかもだけど(実際今の自分にとってはTwitterが完全にそうですがw)。子供の持つ無神経さと肥大した自意識とが共存してて、自覚なくめちゃくちゃ残酷なことをしたりするし、受け取ったほうも必要以上に思い詰めて自分を全否定してしまう。高校くらいになると「他人は他人、自分は自分」という意識が育ってきてお互いにトラブルが起きなくなるように思うんですが。あの頃特有の逃げ場のなさが実にリアルに描かれているなあと思います。
真田さんや伊田先生、まあ確かにひどいんですがあれはこころの視点で描いているからああなるのは当然で、おそらく客観的には彼らは彼らなりの物語があるんだろうと、大人になった今はそう思えます(ただそこを描くと映画として完全にブレるので)。あれは単純な「いじめ」という言葉でくくれないものな気がする。いじめをテーマにした作品でよく出てくるような壮絶なものではなくて、刺々しい言葉、嫉妬、陰口、無視、嘲笑、周囲の無理解といった、誰もが経験したことがあるレベルの、でもそれがあの年代だと鋭利な刃物のように心に突き刺さる、そういう描き方なのは良かったと思ってます。あの頃の自分もちょっと馬鹿にされたりからかわれたら何ヶ月も気に病んで、真剣に相手を消してやりたいと思って、今考えるとなんであんな軽口を真に受けてんだよ自分が自意識過剰なんだよっていう視点を持てるのだけど(だから伊田先生の態度もわかる)、その渦中にいるともう何も見えないんですよね。そのバランスの妙。あれがもし壮絶な描写だったら「自分はこれよりマシだった」ってなって思考停止するだけなので。そして、こころがあの年齢で萌ちゃんのような視点に出会えたのは本当に良かったと思う。
自分もあの頃の自分に大丈夫だって言ってやりたい気はするんですが、わりとここ数年、当時の伏線がこの歳になって回収されてびっくりするような出来事がいくつかリアルで起きてまして、もしかしたら記憶が消されてるだけであの頃なんかあったのかもな? と思いますw
あとED後のおまけ画像、めちゃくちゃ良かったけど、あれ最初はランダム特典で配ってたんですか!? あんなコンプせざるを得ないものを、映画6回も観させてランダム配布とは……w