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咲太の物語、だった。

これまで麻衣さんはじめ、周りの女の子達が思春期症候群、というよりその名を借りた思春期ならではの悩みに向き合い、それを乗り越えていく話が続いていたと思う。その中で咲太は常に、うらやましいくらいのイケメンムーブで彼女達を支えてきた。こちらも安心して見ていられるくらいに咲太は人間ができていた。

本作も咲太の人間力の高さは変わらない。いや、むしろ拍車かかってるかもしれない。だけど、それでもなお、咲太には乗り越えるべき何かがあって、これまでも伏線はあったけどようやく正面切ってそこに切り込んだ作品と感じた。

前作までに咲太が見せてきた人間力の高さ、人としてのイケメン度、それは天性のものとつい思ってしまいがちだけど、そうじゃなかった。飄々として見えるけどその陰には彼の孤独ながんばりがあった。きっとかつては咲太も、親に年相応の反抗心を持った、どこにでもいる男子学生だったんだろうと思う。可能性の世界で、お母さんがお礼を言われておどろいてたことからもわかる。それが、妹と母親がおかしくなって、家族バラバラになって、料理も洗濯も後天的に身につけたのだ。生活していくために。お兄ちゃんとして、妹を守るために。すごいと思う。自分にはとてもできないと思う。

歪な形の家族環境で、咲太は自分が妹の保護者であろうとするあまり、父と母のいない状態をデフォルトとしてきたのかもしれない。誰だって、自分の母親の心が壊れてしまったとしたら、そんな状態を直視したくないし受け入れたくないものだろう。多感な時期ならなおさらだ。それでも咲太はそこでグレたりしないでお兄ちゃんとしての責務を全うしてるわけでほんとにすごいんだけど、その過程で母親を正面から見れなくなってしまったのかもしれない。母親に認めてもらいたい、愛されたいという根源的な気持ちすら抑制していたんじゃないか。だから誰からも認識されなくなったのかもしれないな。

そんなスーパーできる男咲太にも見ないようにしてきたところがあって、でもそれは咲太が頑張るあまりの代償なんだけど、それでもショックを受ける咲太が辛かった。そこでそれに気づいて悩むところはやっぱり咲太だ。

誰にも見えなくなった咲太がお母さんの病室に入って、ここでずっと一人で頑張ってたんだって気づくシーン。この時急にお母さんというキャラが一人の人間として存在感を放ち始めた気がした。今まで奇妙なくらいに作品内で描かれてこなかった母親。それはきっと故意の演出であって、咲太が考えないようにしていたから咲太視点の物語では無視されていたお母さん。だけどお母さんにもお母さんのきっと壮絶な物語があって、苦しみもがいていて。一人でノートにただ思いを吐き出すしかなくて。よく、家族の存在感がまったくないジュブナイル作品って結構多いと思うんですが、それを逆手にとってここで始めて母親と向き合わせるの、すごいと思った。

母親は最初から母親だったわけではない。母親になったのだ。だけどそんなこと、子供の頃には想像もつかない。母親は絶対的な存在だと思い込んでしまっている。母親をただのごく普通の一人の人間として見ること。ちょっとしたことで心が折れてしまう繊細な、だけど必死に「母親になろう」としている、一人の女性として相対化してとらえること。といっても決して他人扱いするということではなく、苦楽をともにする存在として尊重し、大事にすること。それが、大人になった、ということなんだと思う。だから麻衣さんにそう言われて、咲太は泣いたんだろう。母親から離れ、同時に一人の女性と生涯を生きていく決意をすること。思春期の終り。ノート、「保証」、校庭。バニーガール編のモチーフを全部なぞりながら、そこに到達するラスト。「高校生編」の終幕としてこれ以上ない美しい結末だったと思います(まあ咲太はまだ高校生だけど)。

咲太も頑張ってたし、お母さんもこの上なく頑張ってた。花楓も、お父さんも頑張ってた。みんな見えない所で本当に頑張ってたんだよな。家族がそのことを共有できた。それだけでもう、ああこの家族はもう大丈夫だなって思えたし、そんな咲太を真っ正面から受け止めて、誰にも見えなくなっても一人だけ見えてる麻衣さんはもう完全に咲太と新しい家族を築いていけるなと思った。

それにしても「大人になった」ら、今後のシリーズで思春期症候群はどうなってしまうんだろうな。思春期症候群って、なんかちょっと不思議現象、SFぽい感じ出してるけど、あれって実質的にあの頃誰もが感じる心の在り方を強調したものだと思うので。自意識溢れ出すあれ。

マーロウのプリンだ! 花楓・かえでがプリン好きなの、大好きなお母さんが好きだったからなんだね…。きっと大船や茅ヶ崎(なくなった)でおっきなビーカープリンを買って一家四人で食べるのが小さい時の幸せな時間だったんだろうなあ。今後もうプリンのシーンも涙なしには見られない。お母さんの住んでる家は新横浜か小机あたりかなあ。日産スタジアムが見えたから。わざわざ横浜駅で途中下車してまで買っていったんだろう。特に花楓はずっとお母さんに対して自責の念を感じていただろうから……よかった。本当によかった。

今回の思春期症候群はちょっと僕愛君愛みがある感じの出方で、「一家四人が楽しく暮らしている世界」に行ってしまった。この上なく優しい、都合のいい世界を、だけど咲太は離れて元の世界と向き合おうとする。ランドセルガールが小学生の姿だったのも、大人と子供の対比とかがあるのかもなあ。咲太がもう「大人」に足を踏み入れているからなのかな。

理央さん、「いい女」度が増してる気がしました。やっぱ理央さんすげーかっこいい。理想の友人。理央の教室に咲太が入るシーン、黒板でプランク定数の説明してて笑いましたw しかし高2でプランク定数までやってるあの高校ヤバいな。

安易に家族の存在感の希薄さとか家族不全を出すんじゃなくて、それにきちんと向き合ったこの作品の姿勢に敬意を表したい。結末も決してまた4人で楽しく暮らしましためでたしめでたしじゃなくて、これからも4人はもがきながら最良の形を探していくのだろう。バラバラに暮らしていても今作で確かに彼らは家族になれたし、とてもリアルな家族の形という気はした。家族の問題は誰にでも起こりうるからこそ、多くの人に刺さる作品になったんじゃないかと思う。自分もそうで、自分と家族との向き合い方というものを考えさせられました。咲太だけでなく花楓や母親、父親まで、真摯な人生を細やかに描き、彼らの幸せを願う制作陣の想いのようなものを感じた。

麻衣さんと咲太はもう熟年の夫婦みたいな安心感で、今回もことあるごとに咲太を支え、また支えられているのを見て、ほんとに良い伴侶に出会えて良かったなあ、と心から思った。保障じゃなくて保証しなよ! 大学生編、楽しみです!



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