「自分を変えることが必要」という発想は欧米的だなぁと。人間は自分と向き合って自覚していなかった負の一面を受け入れて克服することで変わることができるという、完全性を目指す価値観。ところが、例えば橋田壽賀子の「渡る世間は鬼ばかり」の登場人物達は対立ばかりしているけれども、結局最後にはお互いを「部分的に」受け入れることで調和していて、どこまでも行っても人それぞれの本質(性格)は大して変わらないもので、それでも妥協し合うことで幸せになれるという扱い方をしていて、日本的だと思う。
つぼみの「皆との繋がりのおかげで少しずつ変われている。新しい自分を作って行ける」というセリフは、共同体意識を持つことが勇気を持って前向きな気持ちになりやすいことと、成長とは自己形成であるということを示していると思う。これは近現代の西洋哲学に通じるものがあり、自分を変えることが必要か否かという単純な次元を超えているようで素晴らしい。ラストでつぼみは、自身のシャイで引っ込み思案な一面も必要だと結論付けた上で自己形成を遂げていこうとしていることを示していると思う。つまり、「自分を変える」ことが自己否定を経て別の何か素晴らしいような自分に変貌することではなく、過去の自分を受容して内包しつつ成長していくこと(自己形成)であると示されているかと。
「自分を変える」というワードからは自己否定が想起されかねないので、安易に使うべきではないとは思うけど、視聴対象年齢層を考えると致し方ないかなぁと。