茅場のフラクトライトもまだどこか電脳世界を彷徨ってるのかもと思った。
8万人の人工フラクトライト(ボトムアップ式AI)の生命の方が現実世界の人間1人の生命より軽いと言う菊岡の価値観は、生命倫理の命題に関わるかと。クローン技術にまつわる倫理的問題とも類似しているように思う。肉体を持たない魂のコピーに人間の尊厳が無いと考える菊岡の人格には、明らかに倫理的歪みがある。まあ、戦争に使おうという時点でマッドだけど。その人格的背景が今後明らかになるんだろうなと、推測してみる。あと、生命倫理には、他の生物の尊厳をどこまで認めるかという命題がある。知能や感情がどのレベルに達していればという線引きをするのか、愛玩と捕食の境界線など。そういった問題にまでテーマとしては踏み込めそうだけど、どこまでやるか気になる。