ミリオの個性はオーバーホールに対して最も相性がいいと思う……けど、取り返しがつかない悲劇が。
治崎の理屈は一理ある。この作品は超能力を個性という言葉で言い換えていて、僕は1期の第1話からそこに引っかかるものがあった。ヒーローもヴィランも人の力を超えた力としての個性を有することがその存在意義になっている面がある。ならば、その個性(超能力)をこの世から無くしてしまえば、少なくとも個性に起因する争いや社会的格差は無くなる。その意味において治崎の思想と目的は合理的だと思う。
治崎がヒロイズムを現代病だと言ったのだとすれば、それは古来からの現実社会にも当てはまる病理だと思う。ヒロイズムには守る者と守られる者、正義の味方と悪しき敵という二項対置的な構造が英雄崇拝と共にあって、それ自体が社会にとって倫理的に望ましいのか(ヒロイズムはしばしば力の行使の正当化に使われる)という問題点があると思うのだけど、この作品においてヒロイズムに対する掘り下げ方がどれぐらい為されるか、興味深い。
ただ勿論、治崎の思想が壊理に対して非人道的な行いをして良いという免罪符にはならないし、目的のためには人を殺してもいいという道理もない。その点において知崎は許されざる悪。