史記では成蟜に呂不韋に拮抗するほどの力があったとは書かれていないが、政の戴冠後は長安君に封ぜられ、独立勢力を有していたという記述はあるので、自分の王族の人脈を持っていたのは確かだと思われる。
ともあれ、昌文君が左丞相になれてよかった。確かに呂不韋は咸陽に巣食う虫だったとは思う。その成り上がり方と言い、あまりにやり方が汚い。けど、呂不韋は多くの食客を囲い、呂氏春秋の編纂をさせたことは貴重な古代の学問的資料を残した意味で偉業だ。
李牧の目的は楚趙同盟ではない。趙・楚・魏・韓・燕の五国合従軍を形成するための同盟だ。戦国時代には強大な秦に対して他の六国が連合する合従策が何度か採られたが、これが最後の合従になる。