この戦国時代末期で最も戦術に優れた軍師はおそらく李牧。
史記に詳細な記述がなくあっさり秦が勝ったかのような函谷関の戦いでも、李牧が関与しているならばただで終わるとは思えない。
ただ、史記の趙世家では、函谷関の戦い直後に趙の龐煖が蕞(さい・咸陽に程近い秦の要衝)を攻めたという記述がある。この時、秦は滅亡の危機に陥り、その蕞攻防戦が中華統一の分水嶺になったとされる。但し、李牧が指揮を執ったというのはキングダムのオリジナル設定だと思う。あくまで史記での指揮者は龐煖なので。
その辺りを踏まえると、今回、姿を消した李牧は蕞へ攻め込むべく動いたと考えられる。蕞を落とせば一気に咸陽を叩くことができるし、史実の流れとも一致している。