師匠が尊い。
市電の屋根で猫と対決するのおもろ。
今ならアライグマやハクビシンは外来種の害獣として駆除対象になるけど、タヌキはどうなんだろう。
ともあれ、この作品の時代の大阪では、道頓堀の芝居小屋の奈落に狸が住み着いていたと、故桂米朝師匠が落語の枕で話していたのを思い出した。たぶん、その話自体がこの作品の設定の元ネタなのではと思う。
上方落語にはキツネやタヌキが出てくる話が幾つかある。七度狐、豆狸(まめだ)などがある。
七度狐は一度恨みを持つと人を七回化かす狐の話で、最後まで狐は人を出し抜く。つまり、狐は器用で賢い存在。豆狸は、ちょっとした悪戯をしくじって怪我をして銀杏の葉を銭に変えて子供に化けて膏薬を買いに店に通ったが、薬を使い方を知らなかったために三津寺の前で死ぬという可哀想な話。つまり、狸は愛嬌が合って可愛らしく、人を化かすけれども間が抜けている。上方落語で狐狸の類いはそういう位置付けかと。
それがこの作品においても活かされていて、趣き深いなぁと。