前回とは違い冒頭から視線の先が明示されているのだが、では繊細で奥ゆかしい情緒が描かれていないか? と言うと全くそうではない。むしろその描写の厚みが故に「私もだよ」という一言が計り知れない重みを持つのだ。何と反応されるか分からないコミュニケーションの普遍的な不安、それを十分に共有したからこそ、この言葉に途轍もない愛を感じられる。 銭湯の場面、時々眼鏡だしやや近視なのか目を細めるたまこが珍しい表情で良い。
アカウント作成するとこの機能が使えます。