太平洋戦争の戦場を描いた実話を元にしたフィクションとして、すばらしい作品だった。まんが版の参考図書やあとがきを見ると、短いシーンも多くの現地取材、他の島であった出来事の調査や聞き取りから成り立っていることが分かる。映画版は原作からエッセンスを抽出して制作されているが、必要十分なストーリーとなっている。まんが版にあった現地に残された孤児の姉弟との潜伏は無かったこととして描かれるが、画面上で無事避難していることが分かり、ちょっと嬉しくなってしまった。
一方、情報に翻弄される人々の姿は現代にも通じるものだった。本土に手紙として届く兵員の死亡時の状況を書いた戦士状況概要は、実際にはなかった状況が創作されたものであったり。米軍基地からの糧食鹵獲の最中にゴミ捨て場から拾った新聞や雑誌で終戦を知っても、ウソだと信じて潜伏を続けたり。信じたいものを信じてしまう状況は現代でも変わらない。
シンエイ動画制作でデフォルメされたキャラはお手の物。しかし描かれる戦場と敗走、潜伏の内容はひたすらに重い。3頭身のキャラででなければ吐いてしまう程だ。原作には潜伏後の更に厳しい惨状が詳しく描かれている。『この世界の片隅に』で描かれたようなデフォルメされたキャラクターを使って描く手法は、リアルな戦争を描く手法として十分市民権を得た。エンドロールで流れる主題歌 奇跡のようなこと/上白石萌音が涙を誘った。自宅に帰れた田丸のなんと幸運だったことか。
吉敷はまんが版と映画で違った運命をたどる。映画版は原作 武田一義も脚本として入っており、原作無視の改変ではない。『この世界の片隅に』も原作と違うストーリーとなった部分があるが、これは監督の優しさだった。本作においてもそういう願いがあったのかもしれない。日本人は「遺骨」を気にする文化なのだ。
一方まんが版は戦後、そして高齢で病院に居る田丸に取材する孫の世代へと話が続く。ペリリュー島は何も関係ない昔の人の話ではない。私たちの祖父、曽祖父と地続きの話なのだ。それをはっきりと実感させられた。