反射と修正の図式化、雨の降る日のトンネルの中は傘を差さなくてもいい、が好きでした。
日記(記録)をつけている人間(時)とつけていない人間(時)では違いがあります。(視聴感想から離れるかもしれません)……とか書いている(考えている)うちに視聴しているときに反射的に思ったことを忘れてしまいました。私は反射を書き留めたいと思っています。すぐに忘れてしまうからです。
(少し思い出しました)(作中では先入観を持って見るという)自分がされて嫌なことをしてしまって、罪悪感から他者(浅村くん)からみればよくわからない理屈で謝る沙季に、うっ…と苦い記憶を刺激されました。
浅村くんの苦手が表れて、悦にいる心地のした私は悪い人間です。
「理解してくれすぎます」、悪い意味かなと考えました。良い意味だったことが明らかになりました。
恐らく日記を映像作品風として表したのが印象に残りました(その内の表現について何も言っていないので、これは何も言っていないに等しいです)。
浅村くん、悠太は悪い可能性も考えただろうと思います。
人間は皆異なるので同じだと言ってしまうのは全て嘘…とまでいうとそれはそれで過激すぎますが、そう思っているので、私の全てを理解してくれると思って及んだ行動で違いがはっきりした(だめなところを含めて似ているの意味を取りきれていません)ところは同意的に印象に残りました。
記録した思いはその時の思いに対して嘘をつくことがあると思っているので、悪い意味が含まれていた可能性を私は捨てきれません。