サポーター

ぷーざ
@pooza

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全体
とても良い
映像
とても良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
とても良い
音楽
とても良い

今回が2回目の視聴。以下、ネタバレを多く含む。
今回は本編についてのみ。短編のトロプリ、共演したプリキュア5の話題は次の機会に。

予告にもあった通り、東京を舞台とした物語。
東京駅から始まって、渋谷や表参道等々の見慣れた土地が次々に。それらが「夢の象徴」であるかの様に映し出されると、生まれも育ちも東京である自分は妙な気分にもなってくるw

秋に上映されたミラクルリープのミラクルン同様、特別な力を持つが「守るべき存在」である少女カグヤが登場する。人ではない精霊であることも含め、彼女らはよく似ている。
劇中に訪れる誕生日にカグヤは14歳になる。プリキュアたちと同い年であることもあり、ミラクルンよりも大人びた言動。カグヤはいくぶんお姉さんぽい、別の魅力を持ったキャラクターになっている。劇中では「ゆめプリンセス」なる異名(略して「ゆめプリ」)を持ち、この世界観も含めなんともプリキュアらしく、愛らしい。
カグヤという名前から誰もがかぐや姫を、そして竹取物語同様の悲しい別れを想像するだろう。その想像通り、カグヤとの別れという結末を、我修院博士とプリキュアたちが異なる方法で阻止することが物語の中心となる。

かたや、今回の敵であるエゴエゴ。我修院博士がビョーゲンズから生み出した存在であると、カグヤが明言した。この劇場版、病源から地球を守る為にプリキュアたちが戦った、TV本編とも無関係ではないようだ。
初回戦闘でエゴエゴが披露した体術をスパークルは「キレキレ」と表現したが、その通りのキレキレなダンスの動きでプリキュアたちに襲いかかる、今までのプリキュアにない個性を持った敵。
エゴエゴが我修院博士へのいらだちから叛意を募らせる描写もこまやかで、暴走にも説得力がある。TV本編では相容れない存在として描かれていたビョーゲンズから生まれた存在であるにも関わらず、なんと「改心」し、プリキュアたちから許されていたのは興味深い。

ゆめペンダントを持った者が使える「ゆめアール」。VRでもARでもない「ゆめアール」といったところか。
それはカグヤの「夢をかなえる」力の切り売りと言ってよい。我修院博士も言ってた通り、ある意味では罪深い力。科学の罪深い、身勝手な一面を描いているとも受け取れる。
カグヤを実の娘と思うこそとはいえ「身勝手な願い」から暴走し、そのカグヤから「お母さんなんて大嫌い」と言われるシーンには心をえぐられた。この強すぎる言葉に対し、後にカグヤが謝罪するのは脚本のやさしさゆえか。

クライマックスは戦闘ではなく、キュアグレースの呼びかけから始まった、カグヤを救う為の「願い」だった。
カグヤの「ゆめアール」の力は尽きていたはずなのに、人の願いが実際に力を持ってカグヤを救ったのは何故か。「特別なつぼみ」を持つグレースや、序盤のカグヤも言っていた通り、誰かを想う願いが、強い夢の力を持ったのだろう。
精霊であるカグヤが持つのと同様の力を、心の持ちようによっては、わずかとはいえ定命の人でも持つことが出来る。我修院博士がカグヤに会う前に持っていた「絶望」は、実は人の手でも払うことができたということに他ならない。
いつもならOPに使われる主題歌、北川さんの "Grace Flowers" はこのシーンの挿入歌として使われる。まさにこのシーンの為に書かれた曲に違いない。

カグヤが最後に「生きてるって感じ」と言ったが、なんと粋な回収か。この場面でカグヤは、背中の花びらを失い妙に生気を持った表情に描かれていた気もする。カグヤは「人になった」のではないだろうか?
TV本編の回想をバックに流れたMachicoさんのEDテーマ「やくそく」を、リピートで聞き続けている。この良曲は、思い出深いヒープリを締めくくるにふさわしい、涙なしには聴くことができないものだった。

評価について。「とても良い」を安売りしたくないが、思い返せば本当にそれぞれの要素が素晴らしかったので、そう評価せざるを得ない。
音楽については少し言うことがあって、OPがカットされたバージョンだったのはマイナス。主題歌2曲のよさ、特にEDがその不足分を補ってて、結局「とても良い」評価になった。



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