自分も田舎生まれ田舎育ちなこともあって、序盤から中盤にかけての正宗の閉塞感に対する苛立ちは非常に共感できた
まず、田舎だと車社会なせいで車がないと不便極まることが多くて、細かいこと言うと映画館で観たい映画やってなかったり本屋も品揃えが大したことなくて結局ネット通販で買ったり要は不便なうえに娯楽が少ないんだよね
まして都会に進学したり就職したりして、そういった状況から抜け出ることが出来る(可能性がある)のならまだしも、ほぼ半永久的に閉鎖された空間で過ごすことが確定してたら自暴自棄な気分になるのもわかる
だからそういった閉塞感のある状況を打破してカタルシスのある結論に持っていく、というのが本作の流れなのかなと思ったけど、その予想は良い意味で裏切られた
【以降完全にネタバレありで感想書きます!】
物語中盤で発覚する新事実、この世界は現実とは別に存在している幻のような世界で、主人公たちも現実に実在しているものとは枝分かれした、いわば幽霊のような存在で、この先に未来はなく、今の状況から変化すると消えてしまうか細い灯のようなものである
そうなってくると「生きている意味とはなんぞや?」という気分にもなってくる
少なくとも自分だったら「どうせ現状から変化したら消えてしまうのに、何かに打ち込んだりすることに意味はあるのか?」と思ってしまうと思う
でも当然ながらそういった虚無で終わる話ではなく、「意味」に何かを見出そうとするのではなく、それ自体が目的となるような何かに打ち込み続けることで、人は変わっていくことが出来るし、また生きているということを実感できるという、そういうメッセージの作品だった
具体的には、正宗は誰にも言ってないけど絵を描くのが好きで、たとえ世界が消えるとしても好きだから絵を描くし、それを続けるから上手くなるし、亡くなった父親からも褒めてもらえて、「続けてきてよかったし、それでもなお続けていく」そういう風に語られるシーンがある
また、何よりも、物語序盤から謎の存在だった五実が、現実世界における正宗と睦実の娘だと発覚して、それこそが希望なんだと語られるシーンもある
生きて命を繋ぎ、自分の子供にもまた未来があることがわかる、それこそが希望なのだと
生きているということは、現実存在としての身体が重要というより、主体がどう実感しているかが肝要で、それはどれだけ絶望的な状況であってもそういった実感を持つことは不可能ではなく、そうした主体の認識如何で世界の色というのも見違えるというのは特に強く伝わった部分だったかな
逆に本作はちょっとメッセージ性が強すぎて、若干説教臭いなとも思ってしまったんだけど笑、よくある自己啓発なんかと違って、正宗たちの置かれている状況をいち視聴者として追体験してきたので、強すぎるメッセージも十分説得力を感じられたと思う
また、終盤に展開の逆転があって、現実世界の正宗と睦実はどこにでもいけるし自由にも関わらず、娘を失った喪失感で笑うことも泣くこともできないということが語られることにより、絶望的だと思われていた主人公たちの状況がいかに恵まれたものだったのかという話にも繋がってくる
娘を失うということは、自分の認識如何でどうにかなる問題じゃない
認識如何で生を実感できるとはいっても、そのような状況では幸福こそが罪であり、生きていること自体が罰なのだという結論に至ってもおかしくない
作品全体を通して、「生きるとはどういうことか」ということを岡田麿里テイストで語り上げた作品だったのかなと思う
今作も岡田麿里作品らしく、細田作品や新海作品とはまた違ったエグさがあった(例えば本作のストーリーの要なので受け入れないわけにはいかない部分なのだけど、別の時間軸の娘である五実が父親である主人公に恋をする、など…)
ただ、以前『さよ朝』の感想でも書いた覚えがあるけど、岡田麿里作品はそのエグみも含めて味なんだというように思う(本作は特にストーリーの軸のラインがそうなので特にそう思った)
要はそのエグみを受け入れられるか受け入れられないか、あるいは受け入れられたとしてどの程度まで許容できるか、という話なんだと思うけど、個人的には「うん?」て思うことはあってもストーリーの縦軸全体を否定するまでには至らないからそこまで相性が悪いという訳でもないんだと思う
本作は「恋する衝動が世界を壊す」というキャッチフレーズなので、「いわゆるセカイ系的な作品なのかな」と思ってたけど、今思い返してみるとそれは叙述トリック的なキャッチフレーズだったというか、少なくとも「きみとぼく」の関係が世界の命運に直結するということではなく、あくまでも鍵を握るのは五実だというのが予想とはずれた部分だったかな
人を選ぶのは間違いないとは思うものの、個人的には記憶に残った一作でした
面白かったです