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とても良い

平家の終わりが最初から決まっていたなら、風・潮・運命、様々な流れが至る場所も最初から決まっていたことになる
未来が見えるびわにとっても誰もが海に飛び込む光景は最初から決まっていた事になる。ならそこに至る物語に何の意味も無かったなんて事は絶対に無いと言いたくなる最終回だった

序盤は優勢に進めた壇ノ浦の戦い、それが変わったのはイルカの存在だけど、それで本当に戦の趨勢が変わるわけがない。そもそも平家の凋落は極まっていたわけだし
だから流れが変わったわけではなく、もっと前から流れは源氏の味方であったと言うだけ。

終わりが決まっているなら、終わりに抗うことも問題にならない。終わる時に何をするかが問題になる
時子が惨めさを受け容れず入水を選んだように、徳子が守る意味に迷い子の死を見過ごしたように、知盛が全てを見終わってからの舟の錨を背負ったように、高倉帝が死を前に何も言わなかったように…

敗北を前にした自死、その瞬間に誰もが念仏を唱えている事で死の意味が少し変わるように感じられるね
名を残す為に死を選び、幸福や赦しを願う祈り。だから哀れであっても悲惨とならない。
けれど、役割の中心を課せられた徳子にとっては……。未来と過去を知るびわによって死を赦されなかった瞬間の嘆きがあまりに痛ましい……

後白河法皇と徳子の会話は栄華から程遠い場所にて
生きながら六道を見た徳子はいわば平家の栄枯盛衰を象徴する存在。だからこそ死別した家族を祈り続けることが出来る。
その姿は六道を味わいながらも人の苦しみから離れているように見えるから、法皇という高い位に在る後白河であっても苦しみを越える方法を聞かずには居られなかったのかもしれない

史実をベースにした平家物語、多くの視聴者はその顛末を知った状態で見る事になる
そこに他の者と時間の身の置き方が異なる未来視を持つびわを配し、更には彼女に語り継ぐ役目を担わせた構図は秀逸

全てを見たびわが盲になり、全てを苦しんだ徳子が死を迎えるラスト。それを彩るのが皆が唱えるあの言葉であった。盛者必衰の理を見た気になってしまう素晴らしい作品だったよ…



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