サービス開始日: 2016-03-14 (3767日目)
2話分纏めての感想です
ノーマークだったのが恥ずかしくなるくらいに良作
イスラム文化を舞台にしたアニメとして珍しさを覚えれば、モンゴル帝国に蹂躙される側というのも珍しく思える。個人的にはそうした未知に近しい本作は智識を深めるようなもの
そして主人公のシタラも智識の重要性を知った事で人生が変わったようで。ただし、彼女の人生を変えてくれたのは2種類いて、その影響は真反対。ムハンマドは彼女に良い変化を与えた、トルイはシタラに悪い変化を与えた。でも、本当に大事なのは誰に何を与えられたかではなく、何かを得られる立場になる為に何を得ようと努力するのか、という点なのかもしれない。シタラの強烈が過ぎる始まりを見てそう思ってしまったよ
シタラは奴隷として自分の人生を思い通りにできる存在では無かった。だから逃げようとしたが、自分の人生をどうするかという智識がない彼女では辿り着ける場所もなく
ムハンマドが与えたものはきっかけか。彼はシタラの人生をどうすべきかという智識は与えなかった。代わりにシタラが何をすれば人生をどう出来るかという学びを与えた。それは彼女の人生を変え得るものであり、彼に魅せられる、小さな恋の始まりとして十二分なものだね
一方でアニースは知識が有ればどのようにも人生を変えられるわけでもないと忠告してくれるね。2話の展開はそれを判り易く象徴している
モンゴル軍による蹂躙は容赦ない。一切の抵抗は許されず一切の自由意思は差し込めない。そこに己の人生を決定づける隙はないし、一歩踏み外せば死が待っていると判らされてしまう
だから唯一縋れるのは近くに居ないムハンマドの生存。そして、その希望すら絶たれたなら余計に彼女らには己の人生はどうする事もできない。ズムッルドは絶望の中で幻想に安らぐ死を、アニースは行き場のない人生に終幕を。そしてシタラも…
という段になって持ち掛けられた交渉。ここで智識の源泉たる本が彼女の人生をどう変え得るというのだろうね?
2話分纏めての感想
第二期の始まりがシルフィの物語だったように、今回もエリスの物語から。てか、彼女の行方については第二期で全く描かれなかったものだから、一種の触れちゃいけない存在かと思っていたよ
ルディはエリスと別れた後に心追い詰められ彷徨う暮らしに。近いものは今回のエリスにも見て取れたね。但し、ルディが「見捨てられた」との認識が強かったなら、エリスには「見捨てた」との認識が垣間見えたような
そうした違いが紡がれる物語やそこで必要とされる覚悟の違いにも繋がった気がするよ
エリスが求めるはルディに引けを取らない強さか
ルディって転生による優位性に加えて未来視まで持っていたのだから生半可な人間が肩を並べられるわけもなく。またエリスが斬りたいのはあの龍神オルステッド。彼女が求めるのは剣道剣ではなく殺人剣。だから道場での腕試しも実戦を意識したものになる
ガルはそうしたエリスの内心を判った上で剣道剣によってエリスを圧倒して見せるね。エリスにはまだまだ習得しなければならない剣の領域があるという事で、まずは剣を知る事から始める必要があったと教えてくる
無心での素振りを繰り返す彼女の様子は物語初期の野生児のような無茶苦茶さからは想像もできないもの。彼女がそうした原初の在り方に反する修行が出来るのは目指す境地が明白だからか
彼女はルディと共に育った、ルイジェルドに剣を学んだ、オルステッドに殺されかけた、ガルに敗北した。そうして得られたビジョンが彼女に幾度素振りをさせても足らないと思わせるだけの原動力となっているようで
ガルの方もそうしたビジョンを共有しているのが良いね。彼も尋常な遣り方で龍神は斬れないと判っている。だからエリス自身が学びを得なければと考えているのか
目指す境地や剣の形が明確なエリスの在り方は周囲に影響を与えるもの。最も影響を受けたのはニナか
剣神の娘として先に剣聖となっていたニナとしてはエリスの目指す先を知らなければ彼女を上回る事も難しい
そうして実際のルディがエリスよりやべぇ奴と知れてしまうのは幸か不幸か。てか、あの時の謎にチラ見せされたされたキャラってニナだったのか
だとしたらエリスが勝てないイゾルテにニナが勝ててしまったのは彼女らの関係を面白いものとするね。意想外の三つ巴が生じた
エリスはルディ以外も見るようになり、ニナはエリスの弱さを知り、イゾルテは学びの機会を得た
三つ巴での切磋琢磨はエリスに修練の機会を与えると同時に、気の置けない友人を得る機会ともなったようで。ニナからあんな明け透けな意見を貰う事になるなんてね
ルディから離れた為に追い詰められた心境になっていたエリスが、ルディに好かれたいという至極単純ながら奥深い境地に至った事で一皮むけた。ルディがエリスとの別れを乗り越える為に試練を必要としたように、エリスは試練を経た事でようやく自然な笑顔を取り戻せたように思えるよ
前回は自分らしい正しさを模索・発揮する事によって試験を抜けられる雰囲気があったのに、試験が壊され本物の危機にどう対処するかという段になった途端にユイニィとリチェの優劣がひっくり返る構図はもはや美しさすらある
また、自分らしさを重視しつつ汎用的な技術を習得していたアガットは状況の変化に乱されず為すべき事を成せていたのも印象深い内容だったな
前回は正解の存在する道をどう通るか?が課題だった。けれどつばあり帽の出現により正解は消失するね
その新たな課題では道は走るより滑る方が適合し、ココの不出来な飛び靴が役に立つ。また自信が無いからと外部に頼るため書き溜めていた魔法も状況に応じて助けてくれる
逆に自分の好きな事しか学んでいなかったリチェは微妙、彼女が自身の魔法を使う場面は在れど、人の力に頼る場面も生じてしまう
ただ、そこにだって正解はない。人の力を使う事が状況に適合する場合だってある
アガットが思い出すのはテティアの発言。あの時は不適合だった言葉がつばあり帽に抗する嘘へと変じた
不幸はつばあり帽という存在の性質か。彼等は世の在り方にも魔法使いの在り方にも背を向けている、いわば正解にも適合にも反した存在
だからかアガットの虚言は功をなさず、むしろ彼女こそ世に反した在り方にされそうになる
そうした場面でも役立つのは正解のない遣り方、ユイニィの自分を模索する為の雑多な学びは彼だけでなくアガットすら救うもの
それだけに自分を理解できそうだったユイニィが強制的におぞましい姿に変えられたのは哀しい話…
そうなれば正解は安易に求められない。リチェはすぐにユイニィを助けに行こうとする。それは正しいが使える範囲が狭いリチェではつばあり帽や変化したユイニィと向き合えないかもしれない。結果、リチェは正解を辿る道へと戻されると…
他方でロモノーン人を前にして、傷の無いココ達ではなく大怪我を負うキーフリーが前に出るのは正しくないように思えるが、彼はそこに”先生だから”という原則論を持ち出す。彼にとって状況が変じても守らなければならない正しさがあるのだと判る
こうした展開での一時終幕、続きを見られるまで空いてしまうと思うか、それともまだ続きを見られるのだと思うか。私達にも様々な正しさが生じそうだ
"未来は掴み取るもの"という標語を提示した後、本当に拳での殴り合いになるのは本作にしては珍しい展開
まあ、それもこれも無人島という特別な空間且つルールが一定の暴力行為を是認していたからなのだけど。いわば、綾小路は相手が定めたルールの中で戦わざるを得なかったから月城と闘う事になった
同様に堀北も望む未来を掴み取る為に拳を振るう事になったわけだ
…そうした決意の局面で事態を何も理解してないけど拳を振るう事に拒否感の無い者がそれぞれ助太刀に来るって奇妙ながら面白い展開だなぁ(笑)
未来をこじ開ける為には立ちはだかる者を拳で粉砕して道を切り開かなければならない…というお題目の割に、月城も天沢も本気で阻もうとしていたのかと疑念が湧くのは興味深い展開
天沢は戦う前から重症だし最終的に堀北を通してしまった。月城に至ってはルールを作る側として綾小路を罠に嵌める方法なんて他にもあった筈なのに綾小路に勝てる余地が残る決闘を選んだ
結局、綾小路を退学させたい勢力は居た筈なのに彼の日々は何も変わらず。けど、言い換えれば変わらない日常を彼はこの試験において勝ち取った、そう言えるラストだったのかもしれないね
以前、魔法使いの試験とは許される領域を増やす為のものという話が有ったけど、今回の試験はその性質を含め正しさに辿り着けるかを問われていたような
鱗の魔法陣が示す正しい道を辿らないと正しい出口へは辿り着けない。でも、正しさに頼る考え方には落とし穴があるね。天秤が示す方が正しい、そうやってロモノーンは自らを滅ぼしてしまったのだから
そうした回だからこそ、正しさを掴もうとするユイニィ、正しさを振り解こうとするリチェの対比が美しく映ったよ
この試験は正しさにどう向き合うかが課題となる。正しさに関して真反対の姿勢を持つリチェとユイニィは衝突するわけだ。自信が無いから正しさに固執するユイニィは危ういけど、自分の遣り方に固執するリチェも危うく見える
ここで両者に与しないアガットがどちらの遣り方も否定しないのは好印象。正しいと思われた遣り方とは異なる在り方で魔法使いを目指すココを知っているからこその発言か。それは間接的に正しさがたった一つではないと示している
なら、途切れた道の渡り方にも複数の正しさが存在してもいいわけだ
けど、複数の正しさって要するに自分だけの正しさの表明でもあって。自分の遣り方に自信があるアガットとリチェはすぐに自分なりの正しい魔法を思いついて実行して渡れる
対して自信のない自分を外部の正しさで保とうとしていたユイニィは同じようには行かない。自分なりの遣り方を他人がどう見ているか気にしてしまうし、彼の手は彼なりの遣り方を邪魔するように震えてしまう
そこでリチェの言葉は良かったな。自分を否定するユイニィの言葉の中に彼の自信を見つけた、正しさの道を見つけた
リチェが見つけてくれた正しさはユイニィが受け容れられるものとなるね。というより、ようやくにして彼は外部的な正しさではなく自分が見つけられた正しさによって道の進み方を決められた印象
自分なりの正しさとはすなわち自信そのもの。途切れた道を渡った直後、隠れていた目線が露わになり、表情も明るくなったユイニィは印象的
そんなタイミングで現れたのがつばあり帽か…。とんがり帽とは全く異なる正しさの下で行動する彼らの登場で試験の正しさはどう捻じ曲げられてしまうのだろうね?
本作って、誰を信用していいか良い意味で判らないのが魅力だと思っているのだけど、この回はその傾向がより顕著に表れていたような
現状では最も怪しく見えるのはアスマ。けど、ハヤトからヒカルの排除を仄めかされた際の表情や諸々の態度から彼は信用できないという認識とて信用できないと思わせられる
アサの電話も印象的。彼女は既に祖母が信用できないと判っている。それでも電話を受けるのはどのような状態であれ、祖母は自分を信用していると信じているからか…。でも、敵はそのような感情をこそ利用する。それはまさしく外道の所業だ
ユルは母親に繋がる手掛かりを知ったけど、デラとハナは信用できない根拠を提示して諦めさせた。現状のユルは他の者よりは二人を信じているから、その助言を聞くと…
そして、デラは信用に限度がある相手を利用して情報収集。あのシーン、互いに腹の探り合いをしているけど、他方でコメディトークもカマしているのは信用の使い方を熟知している者ならではか
今のユルはそこまでではないし、同じようにケンだって信じられる者は限られている。誰を信じて良いか曖昧な局面でも、絶対に裏切らないのは自分。そうして独りでも戦える力を身に着けようと刃を研ぎ澄ます少年達の心の在り様に思わず哀しさを覚えたよ…
最後に承認を求める相手となったベルゼブブ、カナンの父だからもっと強烈に羊司との交際に反対するかと思いきや、そこまで前面に出てくる事は無かった印象
てか、特に脈絡なくビーチバレーが始まる展開は最終回なだけに色々と凄いなって思ってしまう
勿論、ベルゼブブとしてカナンと羊司の交際に思う処はある。というより本気の交際と認識していない。その意味では羊司はまずカナンを愛しているしカナンに愛されているという点を証明する必要があったのだろうな
ビーチバレーは試練として用意されたものだけど、現実的にはバレーに勝ったから彼氏に相応しいなんてナンセンスな話。だから羊司が認められるべきポイントは別
考えてみれば羊司は初期時点で試練を乗り越えていたと判るのは良いね。羊司は何を食べても美味しさを感じられないカナンに美味しい体験を与え共有した。家族にはそれまで出来なかった事であり、出来た羊司は新たな家族に相応しいかもしれない証明
思い出のコロッケを作る羊司にときめく彼女がオチているのは明白なのだけど、それでも好きを認めない意外とチョロくないカナンとそんな彼女が大好きな羊司。改めて二人は良いカップルだと思える最終回でしたよ
綾小路を人海戦術で追い詰める作戦、普通に考えれば綾小路側の対抗策は少ない。だからこそ、相手が想定していないだろう対抗策、人海戦術には人海戦術で返す綾小路の遣り口に抜け目なさを感じられるね
他方で椿の方も想定外をこそ見たかった節があるのは面白い。彼女は今回の作戦で成功を目的とせず、想定外の確認をこそ目論んだわけだ。そうして視聴者も想定を超える彼女の底知れなさを目撃できた形となったね
想定外が最も響いたのが宝泉VS龍園か
綾小路への逆襲を狙っていた宝泉としては龍園の登場は想定外だし、彼がタイマンを捨てて挑むのも想定外だったろね
コントロール不可な想定外は滅びに繋がりかねない。その意味では何も知らず罠へと向かいかけた綾小路へ一之瀬が決死の想いで忠告を届けたのはファインプレーと言える。その際に彼女自身の想定外まで口から出てしまったのは恋愛展開としては良いのだけど、彼女が全く想定していない軽井沢の存在がどう響くか…
あと、黒幕っぽく登場したのに雑魚みたいにやられてしまった南雲の姿には申し訳ないけど、ちょっと笑ってしまったな。彼は何を想定してあの場に現れたのやら(笑)
ココに少しずつ魔法の得手が増えてきたこの頃、だからこそフォーカスが当たるのは他の見習い少女達か
ココにあの場に居る背景があるように、他の少女達だって背景がある。当初はその背景が違い過ぎる為にココは知らざる者と呼ばれていた。でも、アガットが気にするように、ココがきちんと魔法を知ってしまったら彼女は知らざる者という違いで区別するのではなく、魔法の向き合い方としての違いとなる。そうした違いはそれこそ魔法への向き合い方に課題があるリチェに注目が集まる背景になるようで
ココは魔法を学ぶのが好きだから、もっと魔法の知見を広めたいと思う。彼女は先人の魔法を尊重する事で己の魔法も深めようとしている。けど、リチェは異なるね。彼女は魔法の知見を広めず、自分の魔法や自分自身を守りたいと言う
魔法を学ぶのに、学ぶ魔法を狭めている。それは教育の場では有るまじき姿。だからキーフリーもココも彼女との接し方に迷う。リチェの否定が目的ではないから、尊重しようとして、でも距離を置く事になる
ココは彼女の背景を知りたいけれど、聞き出すまでは至らない。何故ならリチェが自分の背景や成り立ちを話したがらず、籠ってしまうから
この背景や成り立ちというものは誰でも持っていて、その人に強い影響を与えるものだね。クックロウから否定の言葉ばかり投げつけられるユイニィの素振りなんて判りやすいもの
けど、他人はそうした背景を否定し間違ったものとして扱う事はできない。やはり尊重する必要がある
キーフリーが騙すようにしてリチェに試験を受けさせるのも、彼女を否定しないまでもこれから進む道を尊重する為か。リチェもキーフリーの優しさが判るから彼を尊重して今は折れる事にしたのだろうね
そうして彼女らが挑むのは魔法使いの過ちを背景に持つ洞窟。あの歪な在り方を否定しないまま、どのようにメルフォンの生態を尊重して渡りを成し遂げさせてやれるのだろうね?
次回予告で妙な台詞が有ったものだから、ちと身構えていたけど、デラの隠し子ではなかったか。…その代わり、デラは父親のやらかしを知ってしまった訳だが
他に明らかとなるのは東村や影森関係だけでなく、田寺についても正体の見えない部分が有る点か。まあ、今回のケンが話してくれた事でおおよその推測は為されているが
ユルが両親の事をほぼ知らなかったように、デラも親父が何をしていたかなんて知らなかった。その時に覚える感情は寂しさかそれとももっと別の感情か
サブタイは『兄と弟』だけど、内容は”父と息子”であったようにも思えるよ
子は親について意外な程に何も知らないもの。けど、実際に知らない事が有ったと突き付けられると小さなショックを受けるのも事実
デラはもういい大人だから父親を責めはしないが、まあ思う処はあるだろうね
他方でデラを頼ったケンだって異母兄のデラに見せられない涙はある。それでも彼は涙の訳を話さないままにユルの親が見つかる事を願った。そこには子同士の親への感情が見て取れるね…
ラスト、親父が看取って遣れなかった女性に餞を贈るデラの胸中に宿る親思いの優しさを少しだけ覗いてみたく成ったのでした
前回のミルチは表目上カナンに反抗していたからカナンと羊司の交際について許可を得るには、まず壁を取っ払わなければというハードルが有った
けど、今回のミエルは全く異なるね。内心では羊司の事なんて欠片も認めていないのだけど、そうした感情は全くカナンや羊司には届いていないし、ミエルの反抗は全て空回り
結果、カナンから見ればミエルは問題のない優しい妹であり、自分と羊司の交際もあっさり認めてくれた。けど、その内心は短い間に目まぐるしく変貌していたのが面白いね
ミエルは容姿を変えて配信者活動をするなど、ミルチとは別の意味で裏と表の乖離が激しいタイプか。ミルチは表が攻撃的で裏が姉想い。対してミエルは表が姉想いで裏が攻撃的?
問題はミエルの場合、攻撃対象を姉に向けられず、かといって羊司相手には空振った。そうして攻撃が自分にだけ響いた結果、不幸な事に恋被虐の快楽に気付いてしまうという…
カナンも羊司にも知られない間に、やべぇ癖に目覚めたミエルの変貌はそれこそ見ているこちらまで宜しく無い癖を覚えそうなものでしたよ(笑)
自分の趣味範囲では無いだろうという予感があった為にそこまで高い期待感を持った上で鑑賞したわけではなかったけど、鑑賞者が楽しめる作品という意味では中々の実力を備えた作品だったんじゃなかろうかと思えたよ
というか、見ていて強く感じたが本作は“戦うアイドルアニメ”+“韓流ドラマ”のノリが合わさったような作品だね
敵が人間の魂を喰らうデーモンという概念的な悪であり、味方陣営が正義としてデーモンと戦う事を宿命付けられた存在。構図そのものはオーソドックスであるだけに、デーモンの模様を持ちつつもハンターとして戦うルミという存在が際立つようになっている
まあ、そういった善の中の悪という構図も珍しいものではないんだけど、だからこそ歌の力強さがノイズに乱されず無く伝わってくる作りにもなっていたのかな
ハンターが目指すのはデーモンの根絶、ホンムーンの完成。これらの概念的な背景を考察していくと、色々と面白いものが見えてくるね
ルミの模様は恥や恐れと繋がり他者に見せたくないものと成り、ルミに模様を隠すよう促すセリーヌは度々涙や悲しみを表に出さないよう注意している。そうした感情はいわばデーモンに相通じる要素であり、デーモンがホンムーンという結界によって抑圧される表現を思えば、ホンムーンとは社会的秩序や社会的な体裁を象徴するものであり、デーモンの模様等に繋がる要素とは人が社会に迎合する際に隠し通すべき“恥”そのものであると感じられてくるね
だからルミが隠そうとする模様は彼女が周囲に壁を作る原因でありつつ、同時に彼女が恥と思う秘密そのもの
でも、言い換えてみれば恥だとかあまり他者にひけらかしたくない部分なんて誰でも持つもので。ミラやゾーイが感じる短所もそうした恥だね。終盤にはそうした恥をグウィマに突かれてしまったわけだし
グウィマは作中でも言及があるけれど、人間が持つ恥の感情を利用するのが巧い存在。ジヌが消そうとした記憶もそうした恥にまつわるもの。デーモンとして働いていた彼があの過去を極端なまでに恥と感じていたのは明確、だから心を明かしたルミにですら過去の本当の姿は明かせなかった
グウィマは人間の恥を利用し、恥を消す誘惑で他者を操ろうとする
こうした在り方って実はセリーヌにも通じるように見えるのは面白い。ルミの模様は確かに他者、特にハンターには明かせない恥ではある。でも、信頼し心を通じ合わせた相手にでも隠すべきかという点には疑問が生じる
ルミはセリーヌに「模様(恥)を明かすな」とか「デーモンが消えれば模様(恥)は消える」なんてルミを誘導する。セリーヌにルミを操ろうとする意図は無かったかも知れないけれど、彼女の言葉に拠ってルミはミラ達に恥を持つ自分を明かす事ができず壁が生まれ、ハンターの使命へと殊更にひた走る事になったのだから
ルミがジヌに惹かれたのは彼がイケメンだからという点は有るだろうけど、恥を利用して彼を押し潰そうとするグウィマへの反抗を促す事で自分もセリーヌへ反抗する力を得ようとしていたからではないかと思えてしまう
でも、そうした遣り方は結局恥から逃げている事と同義。グウィマに恥を利用される展開に追い詰められてしまうし、隠していた恥を知られた事への恐怖でルミは余計に絶望を抱くしかなかったのだろうね
だから彼女が行ったのは新たなホンムーン、つまりは恥を恥と思わなくても生きられる社会秩序の構築と言えるのかな…。個人的には此処ら辺のルミを含めハントリックスの心情変化が良く判らなかったりしたのだけど、兎も角ルミのやろうとした事はバラバラになりかけ、そして恥を消してくれるグウィマに呑まれかけていたミラやゾーイを呼び戻すものと成り、またジヌに恥から逃げない勇気を授けるものとなるね
カムバックしたハントリックスとはつまり彼女らが恥を恥と思わず彼女ららしく生きていける世の中へと平和に回帰した状況を象徴する言葉と言えるのかも知れない
まあ、こうして小難しく並び立てて考えるよりも感覚的に受け取って楽しむのが最も良い作品であるのは間違いないのだろうけど
その傾向は冒頭から顕著に現れているし。テンポの早い台詞回し、飛行機の中で寛いでいたと思ったら彼女らの紹介を兼ねた歌唱&戦闘、その後も鑑賞者を飽きさせない話の展開がされていたね
また、力強い楽曲が物語を彩る事で作品そのものの良さも上昇していたように思う
他方で、先述したように物語構造自体はオーソドックスな為に個人的には興奮を得難かったのはある。ただ、本作がどうして英米圏において人気が出たのか、そもそもこのような作品を作り出すK-POPの文化性も見えた気がして貴重な体験と成った鑑賞となりましたよ
高円寺って味方として存在する時は鬱陶しさが勝るけれど、今回のような味方陣営と全く関係ない場所での活躍ならこんな愉快な話になるなんてね
高円寺はどこまでも規格外だから、そんな彼に振り回される者達の奔走模様は傍目に見る分には面白く映る。普段そうした役割を担うのは綾小路だけれど、高円寺は別の意味で超高校生級だから少し優秀な程度の高校生では彼に太刀打ちできない。
他方でそうした超級の怪物にどう刃を届かせようかと他の者達が藻掻く様も本作の面白さとなっているね
高円寺周りが面白いように、綾小路周りも少しずつ面白い状況に。一時は鳴りを潜めた綾小路退学に係る特別試験、ここにきて再び蠢き始めましたか
高円寺は目の前に立ち塞がってきたから敵を粉砕できた。対して綾小路を狙う者達はまだ彼の前に姿を現さない、じわじわと策謀を進める。それだけに彼らの企みがどこまで綾小路に届くのか?その時に綾小路は彼らをどのように粉砕するのか、そうした期待感が高まるね
さておき、龍園クラスのひより達と和気藹々とした道中を過ごす様子に珍しいものを見た気になってしまったのでした
タータの質問はココの不調を前に取り止めに。タータの疑問は確かに捨て置けないけど、見方を変えればココの方が捨て置けない
けど、肝心の医者やキーフリーはココの看病ではなく、ボヤ騒ぎに駆り出された。あの場面、医者は自分には使えない魔法を褒めるが魔法の正体、つまりは物事における別の見方を知るキーフリーは医者こそ凄いと思う。けど、どちらもよく知らない一般人はどちらも優秀として火事場に引っ張り出してしまうと
ボヤ騒ぎが起きようとココの苦しみは捨て置けない。彼女の為に何が出来るか?今回はそうした成すべき事の為に見方を変える話となったような
今回、問題に対処する事になったタータは銀彩症として他者とは違う見方を強制される人物。色鮮やかではなく銀色の世界を見せられる彼は常日頃から困難や可能性の狭さを突き付けられているようなもの。工夫によって薬の正体に迫ろうとしても銀色の世界は彼に限界を見せてしまう
だからこそ、魔法の可能性によって自分だけではなく、タータだけではなく、二人共を助けようとしたココの決断が光る
というか、彼女って魔法によって母親を傷つけてしまった、魔法の残酷な側面を知っているのに、見方を変えて魔法には希望があるのだとタータに提示できたのが本当に素晴らしい
見方が変われば行動も変わる。魔法使い見習いのココには巧く描けなくてもタータなら綺麗に描ける。そうして露わになるのは「ここに薬がある筈だ」という見立ての誤り。おまけのオチとして「医者は居ない」というのも見誤っていたと判るのも良いね
そうした見誤りは院長にも生じるもの。とんがり帽を持つタータを見て魔法使いの見習いと思い込む。それは正しくないかもだけど、見方を変えるまでもなく、薬の正体を魔法で見定めたタータを表す言葉として相応しいもの
だからか、ココもタータもつい言ってしまうのだろうね。「魔法使いって凄い」
実態としてはココもタータもまだ魔法使いでも一人前でもない。だから心が不安で一杯になって前が見えなくなってしまう事だってある。でも、見方を変えれば前は幾らでも広がっているわけで
ココを魔法使いに限定せず「凄い奴」に成れると褒めるタータに掛けたノルノアの言葉が本当に良かったなぁ…。タータにはきっと未来に光明が見えただろうね
そして時を同じくしてココにも。幾つもの困難に立ち向かってきたココだから思い付く工夫。これはどこまで禁止魔法に敵うのかな?そしてココに迫ろうとする見えざる影、新たな困難は未来ある見習い達にどのような試練を見せてしまうのだろうね…