サービス開始日: 2016-03-14 (3828日目)
影森家やゴンゾウについては登場する度に信頼値を上げてくるなぁ…。視聴者的には初回でユルが棲む村を襲った一派なのに、影森家以外の集団の闇が深く、ゴンゾウの懐が広い為に影森の印象が良くなるという。勿論、影森の全てが肯定されるというわけではないんだけどね
兎も角、アスマの母親・イオリを通して強調されるのは行き場のない者にとって影森がどれだけ安住の拠点となっているか。似た要素はアサが話すし、東村での居場所を失いそうなアザミにとっても同様となってくるのだろうね
影森の全てが善い訳ではないが、清い場所に生きられない者にとって影森は安息地
そうした者にとって影森が居場所となると判れば、逆に判らないのはアキオが裏切った理由
ナツキには影森での仕事にうんざりしている様子は感じられるけど、仲間や義兄弟を売る程の憎しみはない。何だかんだ言いつつ、彼女は影森を居場所として認めている
けど、アキオはそうでは無かったようで。清い場所で生きられない者達の中で同じ痛みを共有できなかった彼は影森ですら満足な居場所とならなかったのか。なら、彼に新たな居場所を与えたのは何者でどのようなバックボーンがあるのかと疑問に思うが…
今は豹変した谷風の襲撃がホラー風味で底知れなく恐ろしいですよ…
人と物が溢れる京の都、日本で最も栄え人が集まる場所が鎌倉から京へと移り行く様を感じさせるかのよう。言ってしまえば鎌倉は旧都、京は新都か。そのように捉えると鎌倉で生まれ取り戻そうとする時行一派は少し旧い存在となり、鎌倉を倒し京で世を作り直そうとする尊氏は新しき存在と言えるのかも
バサラな格好で玄蕃を嵌め、賭け事によって男性を地獄に落とす魅摩は新しい時代の先駆者か。また雫をも超える神力を有するのも上位互換性を感じさせる
だからこそ、新しい存在こそがいつだって勝つわけではない流れが良いね
時行達は学ぶ為に京へとやって来た。学びの中には尊氏を探る意味も含まれると成れば、佐々木道誉の娘・魅摩との邂逅及び激突は学びの手始めと言える
玄蕃はこてんぱんにされ、時行も賭け事では頼りない。そうして矢面に立った雫は神力で勝負。けど、魅摩は能力だけ見れば雫の上位互換、おいそれとは勝たせてくれない
雫が用いたのは旧くから人が持つ力か。いや、そういう解釈で良いんだよな…?主君の時行に仕える忠義、愛する時行に向ける睦み合い。そうした新しい都にない搦め手は魅摩を見出し、本来の力を出させなくさせたね
……ただ、雫が時行に向けてる感情って結局何なの…?好きなの?そうじゃないの?
他方で新しさの魅力も描かれるね。魅摩は負けても勝者を気に入り饗してしまう。ただ、勝ったのって雫であって時行では無いような…?さておき、魅摩に案内されて知るのは旧きを内包しつつ新しく変わる京の在り方
けど、人はそう簡単に新しきへ付いて行けない。恩賞を求め酒に浸る新田の兵は象徴的、旧きから新しきへ移り変われない
だからこそ映えるのは時代の混迷期故に求められる単純な力や真面目さか。それが魅摩を魅了するなんて良い展開
気になるのは魅摩の父は完全に尊氏派であり、彼が仕える尊氏は旧きから新しきへの移り変わりに失敗した清原を取り込んで何かを狙っている点か。てか、雫と尊氏で膝枕表現に天と地の差が有るんですけど…
ダイビングも絡まぬ非モテ男子たちの醜い日常エピソードなのに、なぜこうも面白いのか
てか、涼を求めたからってどうして酒に局部を突っ込んでしまったのか……と驚愕させられるが、そうした常識ではありえない馬鹿をしてくれるからこそ、視聴者的にはゲラゲラ笑えるんだよね
前回はセイランの喪失に対してアリの反応がメインだったけど、今回はシーナやミミの反応がメインに
アリ程はセイランとの仲は深くない。でも親しい相手だから何も思わないわけじゃない。何度も話した相手の死に慣れぬミミの反応は苛烈
ミミは蘇生魔法が宜しくない点は聞き入れてくれた。しかし、セイランの死をそのまま受け止めなければならない点は難しい。その反応はミミが持つ庇護されるべき幼さを感じさせ、同時に彼女の傍に居るシーナが死にゆく者達の傍で生かされ続けるミミの不遇に想いを馳せ、自らの可能性を探り出すのは印象的な展開。アリがセイランを唯一と考えるように、シーナもミミを特別と考えるようになったと感じ取れるね
シーナが担当教師のオミではなく保険医フランを訪ねたのは戦闘面以外の出来る事を探る為か
何度か描かれているように彼女に戦闘の才はない。でも、それじゃ戦場へ送り出されるミミを支えられない。でも何もしないままでは居たくないと考えた彼女が行き着くのが治癒魔法ですか。蘇生されるミミに役立つとは思えない。しかし、戦場へ通う者達の手助けとなるかもしれない。シーナが此処に居る意味が見つかった状況
けど、どのような形であれ、シーナが戦争に近付く事にミミはどう反応するのだろうね?今のミミは戦場へ行く意味をシーナを守る為と規定し始めているような気がするけど
さておき、過去も未来も不安定で厳しさばかりな世界で穏やかに眠る二人の姿に一時の穏やかさを感じてしまったのでした
ララがしている事って順序が逆なんだよね。誰かを好きになってそれが本当の愛だと知るんじゃなくて、本当の愛を求めて誰かを好きになろうとしている。しかも最初は好きになった先に”本当の愛”がある確信も無かった。だから、ルカに愛を感じたから好きになったのではなく、”本当の愛”の候補としてルカが最有力だったから彼に近付こうとしている
その関係は歪んでいる。今回はそうした歪さが前面に出てしまった印象。付き合うのも告白するのも全てはララの中から湧き出した衝動ではなく、”本当の愛”を目指す方法として教えられた遣り方。ララはルカに対してまだ愛情を抱けていないのかもしれない
温かな遣り取りを重ねつつも何処か間違った進み方をしているララとルカに危うさを覚えてしまいつつ、傍に居る茉里の様子も気になるね
彼女はいわば友人枠のような存在で、ララの地上での活動を支えつつ彼女と無二の友情を築いてきた。その意味では”本当の愛”の対象になるとはすぐには思えないが、ララとルカが仲を深める段に至りて別の気持ちや揺らぎを見せ始めたね
ルカやララが付き合おうとするなら応援する言葉を放つ。他方で、その際には相手の目を見て言う事は出来ない。顔を逸らしてしまう。彼女はララが誰かと付き合う道を選ぶ際に負けを選んでしまう
ララは家族を救う為に、そして泡になる恐怖から逃げるように”本当の愛”を掴もうとする。でも、それって独り善がりなんだよね。ルカは付き合えてもララを大切にしたいと思う、でもララはルカをどうしたいとかは無い。ただ心に宿る光の反応を気にしてしまう
告白前にララがモノローグで述べていた地上で得たものは本当だと思う。けど、ルカに向けた気持ちや言葉にどこまで”本当”が籠められていたかというと…
分かたれた道、変質したララ、衰弱するグレイス…。遂に激しく動き出したそれぞれは物語をどのように”本当の愛”へ導くのだろうね?
アトーフェラトーフェの話の通じなさが凄い…。これまでも魔族や超越者には独自の世界観や容易に意思疎通できない者は居たけど、アトーフェはもはや会話不可能だし、会話に失敗すれば永遠の隷属か死かという二択が極端すぎる…。てか、相対的にキリシカが頼りになるとか頭がおかしくなりそうだ…
真っ当な会話が望めないなら型破りで対応するしかない。騒動を巻き起こす方が多かったザノバがこれほどまでに頼りになる局面が来ようとは!
しかし、所詮ルディ達は人間でしかない。彼らが発揮できる型破りには限界がある。クリフだけ逃がしてその間に時間稼ぎなんて真っ当な遣り方は通じない
それでも通じさせようとすれば限界を超えた動きが求められる。ルディの感電覚悟の魔法なんて代表例か。いや、それでもザノバの貢献は凄かったな
ルディ達定命の人間が魔王に抗うのは難しい。だからこそ真っ当ではない型破りな超越者こそ望まれる。ペルギウスの登場には興奮させられましたよ!
ナナホシの治療法なんて果たして見つかるのかと訝し気に感じていたものだけど、案外あっさり解決策は手に入ったようで。流石にここから酷い展開になるなんて型破りはない…と思ったらまたしてもターニングポイントか!何が起こってしまうんだ……!?
まさかこうもあっさりトルイの命が砕け落ちるとは…
彼自身は前回の様子やオゴタイの夢に現れるように、何の後悔も抱いてなさそうなのが心の大きさを感じさせる。但し、大きな勢力を有していたトルイが没したなら、モンゴル帝国内の均衡にも影響があるわけで
トルイの落命は確かに英雄的行為で伝説にもなりそうだ。他方でそのように扱う事で反乱分子が生じないようにシナリオを組んだのではないかとも思わせる。そうした中核にはボラクチンの影が見え、彼女の計略が成ったなら力持たぬ者に抵抗は難しいと言える。今回は特にボラクチンとシタラの実力差を感じられる内容でしたよ…
シタラはファーティマ達の復讐、『原論』の奪還を生きる意味と捉えてきた。なら、前回時点で既にボラクチンに呑まれていたシタラが彼女から『原論』を与えられたなら余計に反抗する余地は無い。おまけにトルイ家の凋落にシタラの主張が採用されているなら尚の事
特にあのシーン、かつてシタラがボラクチンに感じた「自分の才能にしがみつく」をそっくり遣り返されているのは強者感がバリバリに感じてしまうね
だからこそ、ボラクチンに仕向けられた思い上がりに気付けたのが、あの水桶だというのは素晴らしい展開ですよ!
シタラは知ったつもりでいるかも知れないが、「何が起きた!?」なんて驚くようじゃ知らないも同じで。知らない事態に呑まれ続ければ何も出来ぬまま流される。知恵を深める道にこそ真実が在る、ドレゲネの隠れたメッセージに気付ける
そうして始めたのはドレゲネを取り返す逆襲の一手なんだろうけど……
あのグユクって役に立つの…?めっちゃビビリでドレゲネ解放の助力とはなりそうに無い気が……
既にトルイは死に、ソルコクタニは無力化、オゴタイの隣を確保し、反抗する者は手中に収めたボラクチンという巨大な存在を前にシタラは無力なまま知恵を手に何処までやり返せるのだろうね?
偽者と本物のアサが対面する場は真偽を明らかにすると言うより、これまで何も考えず在るが儘を受け止めていた在り方を再考する機会かのよう
冒頭のケンとハナのように、当たり前の姿としてケンが学校へ行く事は求められる。けど、無思考で学校に行かせるのが何事においても正しいわけじゃない
同様にユルは近くに居た偽アサの在り方を当たり前と捉えていたけど、あれが偽者であったと、東村には裏が在ったのだと知る事で当たり前と見過ごしていた諸々にはおかしな点があったのだと捉え直す機会となったようで
当たり前を再考するには別視点での捉え直しが必須。ザシキワラシの話は東村の知らない面を知るものに
面白いのは別視点で捉え直せば、今まで当たり前と思っていたものに別の姿が見えてくるし、別視点と既存視点を組み合わせる事で更に疑問が浮かび上がってくる点か。東村にはまだまだ深い闇や謎が多そうですよ
ある程度、再考した後は方針を定め直す必要がある。ユルにとっての方針とは家族の事で、それはつまり眼の前に居るアサについて
ユルが語りたいのは捉え直す前からアサに感じていた事、捉え直したからアサに感じられる事。アサの”やりたい事”に対して彼が真摯に向き合おうとしたのは彼女を真の意味で家族と捉えられた為か
新たに手に入った両親の情報も、アサが自分に隠し事無く明かしてくれたように全てを話す
それはキツい事態を連想させるものだけど、これまで当たり前と思っていたものに別の捉え方が在ったように、未だ見ぬ両親の現状にも別の捉え方が在るのかも知れない
間違いないのは夜と朝を分かつ双子は離れること無く互いを支え合っていくのだろうという点かな
時行って兄や父に似ておらず、逃げ上手はどのように育まれたのかと疑問だったのだけど、この叔父の影響かぁ。いや、傾向は違うんだけど、生きる為にどこまで振り切れるかという点がこの時代の武士と全く異なっており、そうした行為にある程度の充足感を覚えてそうな辺りは時行に影響を与えてそうな印象を覚えたよ。まあ、あんな叔父を唯一尊敬してそうなのが時行という時点でお察し下さいな人間関係だけどさ
さておき泰家生存により鎌倉奪還の機運は高まった。それだけに機を逃しかねない頼重の予知や天狗の出現は気になる所
諏訪に居れば危ないから、逃若党に居れば危険が高まるから。そうした発想は一種の逃げ。但し、逃げをマイナスの動きとせず、逃げ上手ならではの遣り方で転機とするのはこの作品らしいね
玄蕃は自分では勝てない敵に対峙した為にそれを理由に逃若党から逃げたって良いだろうに、むしろこの機会に技強化に向かうとは。これまでの自分から逃げつつ、新たな自分へと進んでいくかのよう
逃げ時を失したのに、気付かず吹雪の鍛錬や泰家の生き汚さに触発される玄蕃の姿は今後へのプラスとなっていくと予感させるね
諏訪に居れば危険だからと敵の本拠地のような京に遣るなんて凄い話
でも、それは逃げをマイナスに終わらせない賢い方法。時行は今は逃げていても良いが、鎌倉奪還の将となる為には天下を知る傑物へと成長しなければならない。その意味で京を知るはプラス、むしろ逃げ要素なんておまけかのよう
この旅に同行するのが泰家なのは逆に良いのかも。彼の生き汚さは一見すると酷いものだけど、生きる為に手は選ばず後悔も恥も見られない。だから、あのような醜態の直後だろうと”天下の北条”を名乗れる
普通であれば泰家って良い教師とは成らないけど、時行にとってのみ天下を生きるとはどのようなものかを知る上で彼ほどの適任者は他に居ない…のかもしれないね
セイランは死んでしまった。なのに死体は残らない。続く今回は消えてしまったセイランの痕跡を探しつつ、そこから彼女の愛やアリの悲しみを探る話なったような
セイランが死んでしまったとしても世界は変わらず続いていく。私物整理なんてセイランを過去に置き去りする行為。拒むようにアリが始めるのはセイランとの回想か…
喪われたのに今も此処に居ると思わせる回想は微笑ましさと哀しさが同時に襲い来るもの。けど、現実にはセイランは既に逝ってしまったわけで。思い出の暗闇に座り込むアリの姿は胸に来る…
アリは誰よりもセイランの近くに居た。彼女が戦場へ行った理由なんて誰より知っている。だから「どうして」なんてアリは言わない
シーナはアリを尊重するから何も聞かない。代わりに聞くのは普通とは異なる意味で死に不慣れなミミか。物事を複雑に受け取らない彼女は見た儘を疑問に思う。そして喪失の痛みを知るシーナはアリが言う「大丈夫」が「大丈夫」ではないと察せられる。でも二人ともそれ以上は何も言えない
結局、アリが泣かないのはセイランから受け取っていた覚悟があるからで。もうセイランは居ないからその覚悟を打ち消してくれないからで
だからミミが戦場から帰りたいのに帰れなかったセイランの約束の品をアリの下へと帰してやれたのは本当に良かったと言える事なのだろうね
ミミは見た儘を思うから、セイランにとってそれがとても大事な品だった事も、受け取ったアリがちゃんと悲しんでいる事も、二人の仲の良さも判ったのかな…
セイランは帰れなかった。それでも帰って来た想いに涙するアリにこちらまで涙腺が……
と、死をどうにか受け止められた後で口にされるは…。蘇生なんて死の冒涜だけれど、ミミはそれによって生かされている。アリの答え方によっては、そしてセイランの死はミミを大きく揺らがせる事になりそうだ
”王子様”を思わせるルカとの関係は良好。そうなれば自然と”本当の愛”に近付いているのではないかと思わせる。けど、そんな段になってララに異変が…
以前であれば、”本当の愛”なんて正体の見えぬ何かだったから闇雲に動けば良かった。でも、ルカという明確な対象が見つかれば、自然と”本当の愛”が果たして見つかるのかという現実的な不安が圧し掛かる。おまけに自身の身体への不安も湧きあがれば…
そうした恐怖が茉里の戦いと被せるようにして描かれていたね
茉里は大会前夜だろうと緊張は見せないし、気負った様子もない。けど、ララが横断幕を作っていれば、言葉少なながらに喜ぶ
そんな彼女でもララ消失の事態には恐怖を覚える。幼い頃は目を逸らしたら負けなんて勝負していた彼女が、「ララを返してほしい」と告げるリサから目を逸らした。また、ララに真実を聞く場面では彼女の方を向けなかった
それでもララが恐怖から逃げていると知れば、まっすぐララを見て問い詰める。そうすれば目を逸らすのはララになり、ララの負けが明らかになる
負けたララは地上には居られない。また、返したくないララを手放した茉里も負けたようなもの。二人とも、まっすぐ前を見られなくなる
その心境が変わるとしたら、恐怖と戦う気持ちが湧き立った時で。ララは確かに王子との愛には失敗したかもしれない。でも今は地上で佳い生活を送れている、茉里との生活に光も見た
そしてまっすぐ輝いたララの目を受けて茉里が勝利を掴む姿は気持ちいいね。ララには茉里が必要だし、茉里にはララが必要
これからも戦うと決めた二人の笑顔はとても輝いていて、二人が手を取り合っているならばいずれ”本当の愛”に届くのではないかと思えたよ
コミュニケーションにおいて相手の立場に立って考えるなんて当たり前すぎる話だけれど、ナナホシの慟哭を見る限りルディは彼女の立場で物を考えられてはいなかったという事だろうなぁ……
ルディとナナホシは日本からやってきた出自を同じくする者だけれど、ルディは転生でナナホシは転移。ルディがあの世界に馴染んだのに対し、ナナホシは異端のまま。ルディは一度死んで生を手にしたのに対し、ナナホシは生きたまま死へと向かっている
ナナホシがルディに怒りにも似た慟哭をぶつけたように、両者は日本での経験も異世界での経験も違い過ぎる。だからこそ、異なる経験を経た今になってルディが理解できるようになる流れは一種の成長と言えるか
ルディは新たな人生で大切な家族を得た。喪いたくない気持ちは充分に判る。その為に良い思い出ばかりではない魔大陸へ行くし、ちゃんと仲間達に協力を仰ぐ点に彼の様々な成長が見て取れるね
今のルディはナナホシの気持ちも、仲間達の気持ちも判る。ただ、判る分だけシルフィに家族を任せる判断に至ってしまったのだろうけど…
相手の気持ちが判るようになる流れは仲間達にも見られるね。ペルギウスの対応に怒りを見せたクリフも、故郷を理由にザノバもナナホシの気持ちの一端が理解できるようになった。そうした様子は感慨深い
他方で、キリシカの気持ちとかはどんなに立場が変わっても判りそうにないなぁ、なんて思わせる再登場方法でしたね(笑)
トルイは最初の印象こそ最悪だったものの、登場する度に株を上げるね。敵軍に囲まれ援軍が間に合うか不安がる部下達の前でジャダミシを行い、天を味方につけるパフォーマンスを行った。だからこそ、兵達は金国を壊滅させられた
それはまさしく天下人の振る舞いだよね。将軍がチンギス・カァンと重ねるのも無理ないというもの。けど、トルイは皇帝ではないし、そうした発言が遮られるのも状況の不安定さを表している。なのに兄弟関係は良好
モンゴルは全てが盤石というわけではない。そうした背景を意識せざるを得ない今回は水面下の陰謀を感じさせる内容に
水面下の異変はまずシタラとドレゲネの関係から
復讐とジャダ石の絆により他に明かせぬ想いも明かし合える筈の2人はどこか奇妙な雰囲気。けど、そんなものは手始めで本当の異変はオゴタイの病変からのドレゲネ拘束か
シタラとすればドレゲネを無実と訴えたいが、その暇なくボラクチンの依頼を受ける羽目に。元よりドレゲネの復讐心を知っている上に、巧みなボラクチンの言葉を聞けばシタラも「彼女がオゴタイを殺そうとする筈がない」なんて言えない。ボラクチンの論理に取り込まれるしかない
差し出したジャダ石は友情の終わりを示すものか
ボラクチンに取り込まれていないソルコクタニは状況の怪しさを指摘できるが、自分が送り込んだシタラが保障したなら、それ以上は言えない
身代わりとして水を飲み干すシーンは興味深いね。身代わりと言われれば誰もが臆する。ボラクチンの「老いた身だから」は理由として合理的
ただ、「血縁が良い」と言われれば引き下がるのも合理的。そうして勇敢にも前に出たトルイだったけど…
果たして水面下で笑みを浮かべたのは誰か?堕ちた雫は誰の天命を模したものか?この状況はボラクチンが整えたものか?
歴史に詳しくないからこそ読めない先の展開にワクワクが止まりませんよ!
前回、状況的に相手を追い詰めていたのはユル達の方だった。けど、イワンが秘した力を解放した事で状況は逆転。一気にイワン有利に
今回はそうした有利不利・上位下位が入れ替わったり定められたりする話となったような
てか、イワンは恐ろしいね。地の利を取っていたユルに対してライフル弾を弾き返すだなんて。本当の強者にとって下方に居るとか追い詰められているとかは関係ない。タイミングや状況を整えてからでないと攻撃できない者は強者にとって狩りの獲物に過ぎないのかもしれない
アスマは状況が揃った事でようやくハヤトへ攻勢、一時はアスマが優位に
なのに本物の強者・イワンが現れた事で脆くも状況は崩れ、更に彼にも逃げられるのは実力差を見せつけられた形か
これは倉庫前の警備員に関しても言えるのかな。ゴンゾウのシャドーボクシング程度なら「変なものを見た」程度に留められていた彼も本物の死体や消える人間、ガチの狂人に遭遇した事で完全に心が折れた
遂には証言も信頼されない状況まで追い詰められた様子は彼が下位の人間として扱われる未来が見えるかのようでしたよ…
対してイワンはボロボロの身体だろうと、左右様からもアスマからも逃げおおせた
更にはイワンを面白おかしくおちょくるアンナにも刃を突き付け、どちらが上位か示そうとする。一方で突き付けられたアンナとて欠片も動揺しない辺り、彼女も別の上位的存在と判る
さておき、ユル達が向き合うべきは過去の清算か。陰陽の中に閉じ込めた事で偽アサに対してユルとアサの方が上位に見えるけど、彼らの関係はどちらが上位下位と定めるものではない筈。遺恨が有り過ぎる彼らの話し合いはどのような帰結を得るのだろうね?
時行が鬼ごっこの最中に「今回は誰も傷つけなくていい」と朗らかに笑っていたけど、確かにそのような内容となったね
企んでいる際の顔が在り得ないくらいに濃い頼継だけど、その心中に在るのは7歳児相応の感情。外からやってきた年上の少年があっとう間に父や祖父だけでなく、諏訪の皆を独り占めしてしまった。自分だけが愛されているという神のような感覚が奪われた、その寂しさは神に成らずとも済んだ時行だからこそ向き合えたものかな
頼継の濃い顔に誤魔化されそうに成るけど、彼の立場って結構重苦しいもので
7歳にして祖父・父から神の座を譲られる。今回のエピソードは平和なものだけど、この判断の裏にあるのは戦事情。下手を打てば頼継は祖父や父を喪うに留まらず諏訪も厳しい立場に追い遣られる。そんな諏訪を神として率いなければならない。幼子に託すにはあまりに重たい役柄、頼重が甘々になり我儘を許してしまうのも仕方ないというもの
そんな頼継に向き合うのが時行という構図が面白いね
時行とて実は重苦しい役柄を背負わされている。鎌倉に居た頃は逃げ上手として皆から愛され、鎌倉が滅んだ後も諏訪で愛されている。でも、その実態は鎌倉最高を願う者達の想いが髪の長さに象徴されている
けど、我儘は言えないし、甘えられる相手も限られる。だから、甘えに対して適切な返しが出来ていない頼重達を叱りもするし、自分に甘えてきた頼継に真摯に向き合おうと、彼の遊びに付き合って良い友になろうとする
髪の毛で助けるシーンは良かったね
髪で人を支え持ち上げるなんて無茶にも程が在るけど、時行の髪はその程度じゃ千切れはしない。何故なら既に大勢の願いを背負っているから
逆に言えばあのシーンは更に頼継すら背負った、その髪で包みこんだとも意味を見出だせる瞬間だったのかもしれない
今は頼継が突っ掛かって時行が迷惑を被る関係。けれど、ナレーションで示されたように、二人が盟友となる未来を実感出来るかのようなエピソードでしたよ
セイランとミミの決闘は興業かのような盛り上がり。間接的に14歳クラスにおいて戦場が遠いものであり、戦争へ向かう試験の決闘をただの見世物としか考えて居ないのだと感じさせる
そして試験は真の戦場を知るミミにとっては正真正銘お遊びで、セイランは戦場へ行く為に命懸けでミミに勝ちたいわけで
ミミが一瞬だけ醸し出した攻撃は戦場の一端。セイランはこれに恐怖を覚え怪我した時点で戦争へ行くなんて辞めておけば良かったのにね……
本気でないミミとすらセイランの実力は雲泥の差がある他方で意気込みはセイランに分がある。ミミはセイランの姿勢に学ぶ点があるとも言える
セイランは実力不足でもアリを戦場へ行かせない為に自分が戦場へ行く。それは守る戦い方。逆に守るものも明確ではないミミは何の為に戦うかがセイランと向き合ったからこそ浮き出てくる
でも、こうした要素なんて所詮は子供の胸中の話。実際に戦場へ出ねば何の意味も持たないからこそ、実力不足でもセイランを戦場へ送り出してしまう大人達のおぞましさが際立つし、送り出す側でありながら憤るフランの姿に意外性を覚える
セイランにとって初めての戦場、それは恐ろしさでは済まない感情を彼女の中に湧き起らせたのに、共に戦ったミミはいつも通り呑気な姿。セイランとミミの間には大差がある。死なないミミでもバラバラになってしまう戦場への適正なんて無かった。やはりこの時点で辞めるべきだったんだろうけど…
セイランが喜びを見出したのは人を助けられた事について。学校ではできなかった、戦場で人命を救う・守る行為は彼女を高揚させる。それが大きな隙となる
その一瞬が…
今回は送り出す・迎える側もスポットが当たっていた印象
表面上は平静を装いながら喪失を恐怖するアリを慰められるのはパートナーを既に喪ったエスタ。喪失を知るから大袈裟な言葉で慰めも励ましもしない
そうした会話を経たからアリもセイランの独白を静かに聞ける。彼女が守った大切を気付かせられる。けど、「帰ってきてくれて有り難う」は言えても「行かないで」は言えなかったんだよな……
だからセイランはあの状態でどうにか帰ろうとした。しかし願いは叶わず…。戦う理由を持ちながら約束を守れなかったセイランが果てるを見たミミは戦う理由を変わらず持たないままで、いつも通り呑気なままでいられるのだろうか……
人魚は自分達を美しいと思い人間を醜いと感じ、そして美しい王子はララを醜いと言った。両者は見た目から相手の美醜を定めている。そうであるならば、見た目が王子にそっくりなルカが定義する美しさとはどのような物であり、それはララにどう影響してくるのか?という点が主題になったのかな…
今のララは人間で、王子に似たルカとて人間。なら人魚と人間として相いれなかったあの時とは異なる結末を迎えられそうな気もするが、王子に似たルカをララは”王子様”と定義しないのは興味深い
王子に似た外見のルカは会って早々ララへ積極アタック。ララも別に拒絶感を覚えないし、そもそも運命の人を探している中途と思えば、二人の間に恋心が生じるのを期待したくなる
なのに、二人の破綻は過去に仕込まれていたとは…。ララは王子の拒絶に光を害意へと変じてしまった。繰り返さない為にはルカの近くになんて行けない。距離を置きたくなる
でも、見方を変えれば距離を置いてルカに酷い事をしたくないと考える程度にはルカを特別視していた証とも言えて
ルカの方もララを特別視する様が見て取れるね
理由も言わず飛び出したララへ向けて、幾つも言葉を投げて橋で待って。そんな彼だからララが最も欲した言葉が言えたのかもしれない
今のララはルカが人間だから、かつての王子がララが人魚だからと拒絶した時と被って映る。でもルカは見た目ではなく心でララを求めた。それこそララが心から求めていた言葉だったというのは良いね…
見た目ではなく心を見てくれるルカと一緒ならララは”本当の愛”を見つけられるかもしれない
気になるのはルカの美的センスや転倒癖かな…
美しい物が好きだと話す彼はけれどアトリエに飾られた絵からは簡易な美しさを感じられない。心の美しさを重視する彼は人魚姿のララに美を感じた。それは王子と異なる感性。見た目は似てるのに、心は異なる
またよく転倒するのは嫌な想像を抱いてしまうけど……
ようやくララは待ち人に出会えた。それは良い方へ進んでいるんだと思わせる。けど、変わらず宙に浮かぶオブジェやララから滴る水は何らかの不穏さを感じさせてしまうね…
天空に座するペルギウスは謹厳にして寛容な人物だったようで
腹に一物あるアリエルだけでなく、怪しい力を持つルディさえ受け入れ滞在を許している。彼の態度にはナナホシの研究を手助けしたという報酬以上の褒美を感じられるけれど、そうした懐こそが天空の支配者また英雄としての底力の一端なのだろうと思えるね
但し、ヒトガミというワードを危うく感じさせる場にはオルステッドを彷彿とさせる何かも感じられたけど…
ペルギウスの言葉はそれこそ天空から降ってくる重々しい宝物のようなもの。上手く掴み取れれば多大な褒美を得られるだろうが、掴み方を間違えればアリエルのように怪我をしかねない
また、ペルギウスがあの場で知り得る全てを明かしたとは思わないが、反面彼に隠し事するは許されず。エリナリーゼはルディと長い付き合いながら明かしていなかった過去を話す事に。ただ、実際は貴重な宝物のような夫・クリフの存在が彼女に口を開かせる動機ともなったようで。様々な面で二人は良い夫婦になりつつあるのだろうと感じられるよ
他方で、エリナリーゼが語った話はゼニスにとって何処まで光明となるのだろう?
権力者の庇護を受けられれば、多少の背伸びした願いも許される。ルディとナナホシが望んだ食事は最たるもの
異世界転移・転生してから2人にとって日本は遠い存在。それだけに権力を借り、なんちゃって和風定食を食べられた事は2人にとって一時的に故郷を思い出すご褒美となったのだろうな…
と、穏やかな気持ちになっていたらフラグを感じさせていたナナホシの症状が……
原因は何か?そしてナナホシとルディの現況にどう影響を与えてしまうのだろうね…
前回の顔見せではシタラが狙う復讐劇最大の障壁と思われたボラクチン、早くもシタラとの関わりが
恐ろしいのは今回においてシタラもボラクチンも前回の天幕内で語ったような大望は口にしていない点か
視聴者はシタラ視点で物語を追うから、彼女の思考は読める。逆にボラクチンは前回登場したばかりだから思考が読めない。なのにシタラが「考える事が判る」と述べるから、彼女の思考は読み通せているように思えてしまう
しかし、シタラがボラクチンの考えを誘導しようとしたように、ボラクチンもシタラにそのような罠を張ったのでは?と思わせる内容でしたね…
ボラクチンはモゲに言わせれば毒を飲まされているらしく。困り事があるならば、解決名目で近づける。いわば、それは隙である為にシタラは親しくもないボラクチンの下へ再び参ったし、毒消しのジャダ石も渡した
困り事を解決してくれた智者を人は信用してしまうもの。あの場面、シタラにすればチャガタイへの近付き方に頭を悩ませるよりも、余程簡単な方法となり得るわけだ
実際、シタラは以後何度かに亘ってボラクチンに呼ばれているようだし。その道筋はあまりに納得性があるもの
自身を狙う者なんて居ないというソルコクタニの言葉も一種の納得性がある。何故なら彼女はトルイの妻であっても大カトゥンではないから
シタラがボラクチンの前で一歩踏み込んだのは信頼が既に醸成され、また操り方の目途が付いていると判断したからか
やはりそこにはすっきりとした理路がある。シタラが自身の判断を疑う理由はない
それだけに恐ろしいのはラストのボラクチンの姿。錬金術思想を教授される前に理解していた彼女が背負うモンゴルの大きさ。次回はその点を実感させられるものとなりそうだ
両親の情報かダンジの救出要請か、二者択一を迫られたユルが選んだのはダンジの方か。そこには左右様を信頼した合理性がある
他方で自身を騙していたダンジを信頼して助けに応えた側面も確かにあるんだよね。助けを求める声を自分を騙すものではないと信じれば、相応の思わぬ出会いがある
アサは偽アサと出会うし、ユルはダンジと再会。そして関係者諸々が一堂に会して。相手の要請に応えれば想像した以上の出会いが待ち受けるもの
だとしたら、イワンの告白はユルの動揺を誘う事で、ユルに先の展開、待ち受ける罠を想定させない事にあったのか
父の言葉では自身を抑えられない。何故なら大事な教えをくれた父をイワンは殺したと言うのだから。ユルを抑えるのはそれこそ思わぬ言葉、血を分けたアサは生きていると落ち着いて信じていた。その心をユルは迎え入れられる
そうして場に現れるはイワンの想定外の劣勢、これで仕舞いかと思われた瞬間に引き出した奥の手!
いやはや、本作は毎回こちらに思わぬ興奮を授けてくれますよ!
外見的ハッタリで凄まじいインパクトを示した戦闘神輿。あっという間に弱点を見通した吹雪凄いなぁ…
崩されかけた戦局だろうと敵将を打ち取れるなら、有利は一気に引き戻せる。いわば諏訪方は勝利を手に仕掛けた瞬間だった。そこで逃げを得意とする、つまりは危険に聡い時行だけが新たな戦局崩しに気付いたのは面白い
それは将の器に似たものであるが、同時に彼の指示で軍が逃げ出せなかったのは今はまだ将で無い事の証左か
今回の戦は時行の可能性と限界を示すものとなったような
まさかの再登場となった瘴奸の厄介さは倒した時行が最も知っている。また将の器を少しでも有する者であれば瘴奸の突入により戦局は引き戻せない程に崩れたと判る
次に出来るのは負けをどの程度に抑えられるか。時行は自身の逃げは出来ても軍の逃げまで得意とはしない。それだけに望月を始めとした三大将の言動は逃げを助けるものであり、彼らが時行を信じるつもりなら、より大きな逃げに通ずる
興味深いのはここでの逃げがやがて来る勝ちへの布石として機能する点か。戦局は負けても大戦に勝てれば真の勝者となる。また頼重や時行を中核とする勢力はより盛り上がった。単純な負けとは呼べない構図には興奮させられますよ!
そして、ここにきて清原の深堀がされるとは…
第一印象も第二印象もTHE麻呂!って悪人だったけど、背景が描かれてみれば彼とて偉大なカリスマの手足として動かされた木っ端公家だったようで
面白いのは彼の本質をどちらで見るのかという点。鎌倉武士にへつらう公家への嫌悪を示した顔が本質か、それとも不遇の中でも新たな世を待たんとした希望溢れる顔が本質か
どちらにせよ、後醍醐天皇というカリスマが命じた神輿に乗せられていた彼は最初から負けていたのかもしれないね……
ちいかわコンテンツは一切未履修
ただ、この映画に関して、知っている人と知らない人の間に生じる受け取り方の差は伝え聞いていたので、本映画はちいかわコンテンツに対して、事前にどのような認識を持った上で鑑賞したのかが感想を左右すると思っていたのだけど…
想像していたより、ニュートラルな作品だなというのが第一印象。勿論、そこには本作のコメディをシュールとかカワイイとか、そのように思ったりはするのだけど良い意味で本作は自然体だなと感じられましたよ
本作のストーリーラインって報酬に釣られたちいかわ達が島にやってきて、島民の困り事に巻き込まれていくという筋書きなのだけど、ちいかわ達ってセイレーンから言及されるように徹底してただの「観光客」に過ぎないんだよね。セイレーンと島民の対立において何ら利害関係を持たない。敢えて言えば先に助けを求めてきたのが島民であり、島民の歓待を受けていたから彼らに協力したというだけで積極的にセイレーンを許せない理由を持っていたわけではない
一応、セイレーンが島民を食べているとの許し難い背景はあるものの、その行為だって先に人魚が食べられたとの情報に接していたちいかわ達にとって、どちらが明確に“正しい”と断ぜられるだけの何かは持たない
だからか、ちいかわ達は流されるように行動している。島民と一緒にセイレーンに対抗して、友達が攫われたから助けようとして、セイレーンに島民が襲われないようにカレーを作って…
良くも悪くもちいかわ達は島民の方向性を変える何かは持たないし、セイレーンを抑えられる何かも無い。彼らの行動は自然の流れに沿っている
そう捉えると、問題の根源として存在する要素も自然の流れによるものだったのかも知れない
島に一方的に棲み着いたセイレーンは恐ろしく、またご馳走を求める厄介な存在だったのは事実。反面、セイレーンの唄は作物を豊かにさせる。島はセイレーンの恩恵を受けていた
その様は制御出来ない神威的な自然現象と人間が持ちつ持たれつの関係を気付いている在り方を想起させる
だから自然が崩れるとしたら、相手へ不用意に深く踏み込んでしまった瞬間で
自然現象と接していれば命を落としてしまう事だってある。それを仕方ないと流せば、それ以上の何かなんて発生しない。けど、あのヒトハは踏み込んでしまったわけだ、禁忌へと
そうなればセイレーンが怒り報復するのは当然。けれど、ここで更に誤りとなるのは自分達が犯人であると名乗り出なかった点。そうして本当に罪の無い島民達が攫われ、島民達はセイレーンを邪悪な存在としてちいかわ達に討伐させる事になるのだから
セイレーンと島民達の間には自然的な流れがある。共生している内は良い。けど、自然の領域に踏み込んでしまった時、自然は牙を剥く
その際に因果の整理を行えば事態はすぐに自然的なものへと回帰するかもしれない。隠し続ければ不自然が際立つ。結局はセイレーンという存在の討伐へと乗り出すしかなくなる
なら、隠さない事こそ自然的、正しかったのかというとそうでもないのが一種の難しさか。そもそも問題はフタバが命の危機を迎え、ヒトハが助ける決断をした時に全ては終わっていた。以降の判断なんて全ては蛇足
その意味ではちいかわ達はもうどうしょうもなくなっていた事態に巻き込まれていたと言える。だから流されるような行動も問題とならない。何故なら今更何かを判断した所で喰い喰われる関係は変えられなかったのだから
ただ、それを理由に全てを諦めて良いというわけでもない点を本作は示してくれるね
ハチワレや先生は何度かに亘って、どうすれば良かったのか、何が正しいのかと頭を悩ませる。全てを解決する答えそのものは提示されないけど、代わりにちいかわが示したのが、あの場における正しさ、または間違いではないと信じる判断だったのだろうね
何も罪を糾弾するだけが正しさではない。隠そうとする姿に互いを想い合う心が見えるなら、その意思を尊重するのも一種の正しさだろう
……と、そこで終わっていれば比較的綺麗な物語に成ったかもしれない。けど、本作は後味悪く終わるね
なのに後味の悪さこそ本作の魅力と成っているのだから面白い。綺麗な物語なのに後味が悪いなんて余計な要素が足されたと捉えても可怪しくない。でも、本作の場合はあのラストシーンがある事で気持ちの良い後味の悪さになる。きっとあのカットが無ければそれはそれで気持ちの悪い後味を覚えたのではなかろうか?
だって、鑑賞者の多くはヒトハ・フタバを追い詰めるセイレーンの姿を見たかったろうから。その意味では実際に追い詰める姿は描かないままで、追い詰めるかもしれないという予兆程度に留めたラストは鑑賞者にとって丁度良い気持ち良さの“後味の悪さ”となっているのだろうと思えたよ
そういった部分が本作の魅力なのだと実感できたね
ストーリー部分について、長々と述べてきたけど、本作を鑑賞中に抱いた率直な感想は「可愛くてシュール」という印象が強かったかな
まず以てちいかわもハチワレもうさぎも可愛らしい。それで居ながらハチワレもうさぎもシュールで空気が読めない言動を繰り返すし、他キャラクターに於いてもいわば自分のキャラを前面に押し出した行動に全力投球している。そうした行動はちいかわを困惑させる事もあるのだけど、喋らないちいかわが可愛らしく困る事で不快感を抱かず微笑ましく見守る事ができるね
劇中では我儘を発露しちいかわを露骨に困らせるモモンガすら可愛らしく見えてくるのだから面白い
そうした可愛さは本作において、いわば敵役とも言えるセイレーンにすら見て取れるのは印象的
セイレーンは明確に島民を「喰べた」と言っているし、実際に恐ろしく襲ってくるシーンもあるのだけど、それでも怖さだけに終始しない可愛さを感じてしまう
そもそもセイレーンは悪意に拠って島民を襲っているのではなく、人魚を食べられた哀しさと憤りという真っ当な感情から襲っているからなのかもしれない。セイレーンは悪役などではなく、彼女とて可愛らしいキャラクターなのだ
そう捉えると、逆に騒動の始まりであるヒトハ・フタバの造形に注目してしまうけど、こちらは何処まで意図した形なのかな…と想像してしまったり
本作ではモブを影塗りにしてメインキャラとは一線を画すしているのだけど、ヒトハ・フタバまで影塗り状態なものだから登場当初はモブとの区別が付かなかったよ。でも、話が進めば両者は重要な意味を持ったキャラクターと判るし、表情を出さずに済むキャラクターではないとも判る
それでも二人はモブと同様の見た目をしていて、顔や言葉が描かれる事はない。そこに可愛さを見出すのは難しい
その点は先程の捉え方と合わせて考えると、一般人として振る舞う者の中にこそ、自然を侵食して自然の怒りを買う原因となる原因が混ざっている、なんて深読みも出来るのかもしれない
怖いけど可愛くも思えるセイレーン、モブのようだけどモブでは済まないヒトハ・フタバ。その描き方の差異に何処まで意味があるのか、独特の後味の悪さに浸りつつ考えてみたくなる作品でしたよ
まあ、それ以前にちいかわ達の可愛さに浸っている方が楽しい作品でもあるんだけどね