我儘で無礼なテトラの振る舞いをサリフィが重く捉えない為にコメディで済む一連の描写。でも、これを親の愛情を欲する子供の疑似試し行動と捉えると別の一面が見えてくるね
愛が判らないから、相手が己を愛しているかを試してしまう。応える為には相手の試しに向き合い続けなければならない
テトラが愛を求める相手はサリフィではなく母のカルラ
でも広い視野で見ればカルラだって愛を求めている。世継ぎを産み国から必要とされる愛
でもテトラもカルラも国の象徴である前に家族を構成する一人。だからカルラはテトラの嘆きにやっと自分が欲しそして向けるべき愛に気付けたわけだ
愛を欲するという点でもレオも同様
父から愛された記憶がなく、想像した愛も存在しなかった。だから彼が自分を愛する余地なんて有る筈もなく
その意味では自分を想ってくれるサリフィという存在はレオにとってどれだけの救いであり、同時に愛の象徴となったのだろうね
赤子への祝福という子作りを意識せざるを得ない訪問はサリフィとレオに愛の先を想像させるものになるから、尚更に自分の愛の原点を想起させる
それでもレオはサリフィを愛したんだね…。むしろサリフィへの愛によって愛を欲する心を制御できるようになったとも言える
愛の将来へ向け確かに歩み始めた二人の姿はこれまでより一段と進んだものであると感じられるよ