偽者と本物のアサが対面する場は真偽を明らかにすると言うより、これまで何も考えず在るが儘を受け止めていた在り方を再考する機会かのよう
冒頭のケンとハナのように、当たり前の姿としてケンが学校へ行く事は求められる。けど、無思考で学校に行かせるのが何事においても正しいわけじゃない
同様にユルは近くに居た偽アサの在り方を当たり前と捉えていたけど、あれが偽者であったと、東村には裏が在ったのだと知る事で当たり前と見過ごしていた諸々にはおかしな点があったのだと捉え直す機会となったようで
当たり前を再考するには別視点での捉え直しが必須。ザシキワラシの話は東村の知らない面を知るものに
面白いのは別視点で捉え直せば、今まで当たり前と思っていたものに別の姿が見えてくるし、別視点と既存視点を組み合わせる事で更に疑問が浮かび上がってくる点か。東村にはまだまだ深い闇や謎が多そうですよ
ある程度、再考した後は方針を定め直す必要がある。ユルにとっての方針とは家族の事で、それはつまり眼の前に居るアサについて
ユルが語りたいのは捉え直す前からアサに感じていた事、捉え直したからアサに感じられる事。アサの”やりたい事”に対して彼が真摯に向き合おうとしたのは彼女を真の意味で家族と捉えられた為か
新たに手に入った両親の情報も、アサが自分に隠し事無く明かしてくれたように全てを話す
それはキツい事態を連想させるものだけど、これまで当たり前と思っていたものに別の捉え方が在ったように、未だ見ぬ両親の現状にも別の捉え方が在るのかも知れない
間違いないのは夜と朝を分かつ双子は離れること無く互いを支え合っていくのだろうという点かな