さっきは妖にスルーされた樹海が襲われたときに、「生きている」を起点に解釈してみた
死人には義肢装具の心配りができるのに、生きている人には無関心。赤ちゃん百鬼丸は死人という認識だったのかと
で、その死人だった百鬼丸に「おっかちゃん」と呼ばれて、自分は百鬼丸に生を授けたに至って、自らも生きていると実感(百鬼丸から逆に生を受ける)して、妖に襲われるに戻る
樹海が百鬼丸に名乗らなかったのは、百鬼丸からどろろのことを深掘りしなかったのに対応?
どろろの存在が百鬼丸をギリギリながらも人間たらしめるものと、樹海は思ったんでしょう
2019.05.09
寿海が生きている人にきついのは、戦乱は生きている人が起こしている、死んだ人や負傷した人は戦乱を起こさないから、って考え?