百鬼丸は育ての親の魂の温かさを覚えていた。
寿海との問答は、百鬼丸が何かを考える端緒を生む種ぐらいにはなったかのよう。
そして寿海の言う通り、百鬼丸が人であるためにどろろは大切な存在であり続けるという因果なんだろうなと。
一方、多宝丸は領民を守るためと言いつつ心が鬼神化していっているような。
鬼神を倒すことが人生になっていて、人を殺めてしまっているから、修羅の道を歩ませる原因となってしまったんじゃないかって複雑な心中だよな。
人を殺めたのは人間らしさを取り戻したからともとれるから、時代も時代だしそこは許してやってほしいわ。
最後に感謝してるのが伝わってよかった。
めっっっっちゃ良かった。いろいろと考えさせられる回でした。菩薩の頭のくだりは天才だと思う。
最後の「おっかちゃんだ」も泣きそうになった
寿海の事をおっかちゃんと認識したのは、やはりどろろから学んだことだろうか
冒頭の再会のシーンから胸がいっぱいになりました。
旅を続けていく中で、百鬼丸にとってどろろがとても大切な存在に育っていたことが、この先の希望になって欲しいです。
そうだよね、百鬼丸。「おっかちゃん」で合ってると思う。血の繋がりや性別など超えた存在なのだということに、また涙が…
とうとう兄弟が相まみえることになるのでしょうか…
重たいテーマの作品なので、明るく元気などろろが居てくれないと観ている自分も寂しいです。。
寿海と百鬼丸の再会いいなぁ。百鬼丸の首の代わりが菩薩の首か。寿海ですら百鬼丸は救えない。百鬼丸に現状を受け入れろというのか
おっかちゃんです
目が見えてなくても育ての親を覚えてるんやな
あれ、朝倉領に逃げてなかったっけ
国を越えて討伐するって事か
冒頭の感じからして、完全にまとめ回なのかなと思ったけれど、後半で戦闘シーンがあったので驚いた。
「おっかちゃんだ」はよかったね。
最後に、どろろのいる場所に百鬼丸が向かっているのは偶然ってことでいいんだろうか。離れて以降、所在は分からないので、事前に知りえないよね。
義足もったいない、、、
おっかちゃんだな
寿海を「 おっかちゃん 」 呼びする百鬼丸良かった
喋れるようになってもまだ色々な言葉を正しく理解するに至ってないから、家族のような存在はひっくるめておっかちゃんなんだね
一方、多宝丸は…あんなに良い子だったのになぁ
再会いいよね…。いい…。
みんな鬼神だぜっ!とか思いつつ、親代わりだったんだろうなぁ。複雑な感情ね。
百鬼丸と百鬼丸の育ての親再会のお話。。。よかったな、二人とも
再会から別れまで、めちゃくちゃ泣いた。
おっかちゃんだ。の後の、バカ、それは違うぞ…の涙が素晴らしかった。
EDもいい余韻
「知ってる、これが何というものか…。“おっかちゃん”だ。」
なんという泣けるシーン…!
百鬼丸は、どろろと過ごすうちに愛情というものを自分なりに学んだんだね…!ええ話や…(´;ω;`)ブワッ
結局おニューの脚もらえなかったな
さっきは妖にスルーされた樹海が襲われたときに、「生きている」を起点に解釈してみた
死人には義肢装具の心配りができるのに、生きている人には無関心。赤ちゃん百鬼丸は死人という認識だったのかと
で、その死人だった百鬼丸に「おっかちゃん」と呼ばれて、自分は百鬼丸に生を授けたに至って、自らも生きていると実感(百鬼丸から逆に生を受ける)して、妖に襲われるに戻る
樹海が百鬼丸に名乗らなかったのは、百鬼丸からどろろのことを深掘りしなかったのに対応?
どろろの存在が百鬼丸をギリギリながらも人間たらしめるものと、樹海は思ったんでしょう
2019.05.09
寿海が生きている人にきついのは、戦乱は生きている人が起こしている、死んだ人や負傷した人は戦乱を起こさないから、って考え?