千歳くんとその取り巻きは、「キルケゴールも萩原朔太郎もドストエフスキイも読んだことない」し、「Radioheadを聴いたこともハヌマーンで感動したこともsyrup16gで泣いたこともない」軽薄な「陽キャ」で、しかし同時に、俺たちもまた『非リアでも恋していいですか?』や『オタクの俺がギャルビッチに狙われている』を読んでいることを誇りにしている山崎くんのように軽薄な「陰キャ」に過ぎない、ということを突き付けてくる無慈悲な「他者」でもある。さらに彼らは、キラキラした青春と恋物語に耽り自惚れることで自己を正当化しているやはり軽薄なナルシストであり、同時に彼らなりの挫折や苦しみ(例えば、千歳くんなら野球、柊夕湖なら「見られるのには慣れている」こと)を抱える人間でもある...。こんな感じで、観ていて視点が定まらない。そして、この視点を揺さぶられる鑑賞体験自体が、現実に対する態度を定められない俺たち自身の優柔不断さをエミュレートしているようにも思う。さらに、お前のその優柔不断さは「安全に痛い自己反省パフォーマンス」だぞ、と刺してきているようにも感じる。