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とても良い

音楽が良いというのがどういうことなのか、考えさせられる。良い音楽は、たぶんある一つの奇跡的な調和であって、和声による共振から演奏者同士の魂の共振まで総合的に反映して、「良い!」という体験をもたらすのだろう。



とても良い

千歳くんとその取り巻きは、「キルケゴールも萩原朔太郎もドストエフスキイも読んだことない」し、「Radioheadを聴いたこともハヌマーンで感動したこともsyrup16gで泣いたこともない」軽薄な「陽キャ」で、しかし同時に、俺たちもまた『非リアでも恋していいですか?』や『オタクの俺がギャルビッチに狙われている』を読んでいることを誇りにしている山崎くんのように軽薄な「陰キャ」に過ぎない、ということを突き付けてくる無慈悲な「他者」でもある。さらに彼らは、キラキラした青春と恋物語に耽り自惚れることで自己を正当化しているやはり軽薄なナルシストであり、同時に彼らなりの挫折や苦しみ(例えば、千歳くんなら野球、柊夕湖なら「見られるのには慣れている」こと)を抱える人間でもある...。こんな感じで、観ていて視点が定まらない。そして、この視点を揺さぶられる鑑賞体験自体が、現実に対する態度を定められない俺たち自身の優柔不断さをエミュレートしているようにも思う。さらに、お前のその優柔不断さは「安全に痛い自己反省パフォーマンス」だぞ、と刺してきているようにも感じる。



全体
とても良い
映像
とても良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
とても良い
音楽
良い

良いアニメでした













とても良い

スクールカースト的なリアリティが最初に提示されるせいで、主人公とヒロインたちのエモ風描写が丸ごと嘘くさく見えた。この「スクールカースト的なリアリティ」は「引きこもりの陰キャが想定する現実」といった感じで1話を通じて描写され、その徹底ぶりには舌を巻くとともに、これを好き好んで読んでいるのであろうライトノベル読者の自傷癖とマゾヒズムには驚かされる。最後の、千歳くんが窓を割って入ってきて「相互理解を始めようぜ」と手を差し伸べるシーンからは、この「スクールカースト的なリアリティ」からの脱却が作品を通じて模索されるのだろうことが予想され、どう模索していくのかとても興味が湧く一方で、彼らの自傷的なリアリティはもはや「窓を割る」ような粗雑さでは救いようがないほどに強固なんじゃないかという気がしてしまった。



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