「この芸能界<せかい>において
嘘は武器だ」
地方都市で働く産婦人科医・ゴロー。
ある日"推し"のアイドル「B小町」のアイが彼の前に現れた。
彼女はある禁断の秘密を抱えており…。
そんな二人の"最悪"の出会いから、運命が動き出していく―。
原作未読。
映画と先行上映の境界はとても微妙なもので、それを区分けする意味は本当のところないのかもしれないとは思っています。映画館で作品を観れば、それは映画です。その上で、この作品は映画だったと思いました。映画と先行上映の違いは(敢えて違いを考えてみれば)、それはひとつの作品として完結しているかどうか、になると思います。ひとつの主題めいたものが掲示され、その結末(結論ではありません。それを導きだすのは論考の仕事だと思うからです)が提示されること、それが映画の要件ではないか、と思います。
「嘘は、とびきりの愛なんだよ?」(「TVアニメ『【推しの子】』特報【2023年4月より放送開始】」動画より)
アイは「愛してる」がわからない子でした。施設育ちで、考えるよりも先に相手に合わせて言葉や行動が出て、本心がわからない子。それでも良い、むしろ嘘で良いと言われてすくわれて、アイドルになり、母になります。もしもその言葉が嘘だったら、そう思うと怖くて、子どもらにずっと「愛してる」と言えませんでした。
そんな母と少し…………少し、変わった子どもらの関係の結末として(だからこそ副題が「 Mother and Children」となっているのでしょう)、これは映画として作られなければならなかったと感じました。そして、そう作られたことにそのキャラクターへの愛を私は感じました。
「嘘は、とびきりの愛なんだよ?」
もしも「嘘」が愛なのだとしたら、「本当」は何なのでしょう。観終えてしばらく呆然とした後に、ふとそんなことを思いました(エンドロール後の映像がとても強く印象に残っています。それだけ強く生きた人間としてそのキャラクターを感じ取りました)。「嘘」と「本当」を受け取った子どもらの物語をTVアニメでも観続けたいと思いました。
アイ役高橋李依の演技には特にひきつけられました。少女から母の自覚にかわっていく変化や、アイの独白ではその精神の特殊さが声に現れて感じられて、特に好きでした。
蛇足ですが、本予告を見る前に、特報の情報のみで観に行きました。それがよかった気がします。オープニングテーマも劇場で最初に聴いてインパクトがありました。
@グラシネ池袋 シアター5 BESTIA
kappeキャラデザのキャラクターが映画館の大画面で動いているだけで大満足…
上映の最後の方でもアクアくんが述べていた気がするけれど、終わってみればまさにプロローグみたいなもので、先行上映として1本の映画にまとめるのにピッタリな展開だったな…とも思いました
原作未読なこともあって、展開が1つ1つすごく衝撃的で、
あれっこれ刺されそうだな、いやこんな魅力的な主役級の子がここで退場するはずが…うわああああああああってなりました
TVアニメの展開がすごく楽しみです……
愛した記憶も愛された記憶もないアイが、本当の愛を知るために、作り物の愛してるをいつか本当にするために嘘を付き続ける。その結果がアイドルになることだった。
だけど、アイが愛を求めたもう一つの結果として、アイは母親になってしまう。それが招くのは、みんなを喜ばせるためのさらなるアイによる愛ある嘘と、愛したのに嘘で裏切られたあるファンによる怨念の一刺し。
だけど、そこ悲惨な血みどろな結末を以てして、アイは最初で最後の本当の愛してるを実感することができた。そして、壮絶で残酷だけど、美しくもあるアイの愛の物語が完結する……はずだった。
そのアイの残した愛によって、残された双子が復讐へと駆り立てられることになる。命を以て繋いだアイの愛が、次なる憎しみや怨念という愛とは真逆の感情を爆発させるきっかけになってしまうのはなんて報われない結末かと思わされてしまう。
だけど、愛に美しい物語ばかり求めるのがそもそもの間違いなのかもしれない。アイがアイドルとして振り撒いた愛も作り物の結晶であって、それは芸能界というダイナミズムの中で商品として消費されるもの。麻薬のようにその愛を注入することで、ファンからお金を搾り取るというアイドルのシステム。
振り返ってみれば、それ程の魅力と魔力を秘めた愛を象徴するこの始まりの物語の展開と結末であったように思う。そして、その愛の名を冠した少女の綺羅びやかで壮絶な生き様もまた、愛そのものを体現したものだったように映った。
伝説のアイドルは〇〇がち…。