「そう、僕は僕だ。ただ他の人達が僕の心の形を作っているのも確かなんだ。」
勢いで見たものの何も分からない。
・人類補完計画を残りの話数で描くのは不可能だった→だから描かれるシンジの心模様→描けない理由はスケジュール、予算、枠、スタッフの限界など?
・世界は受け取りかた次第でいくらでも変わる→ここにいてもいいと思えるようになったシンジの成長→主人公が成長したのだから最終回、と言い張るには無理があるか?
・前代未聞の最終回→賛否両論なのはとうぜん→でもこの最終回があるからこそ、エヴァンゲリオンは神話になれた
これもこれで良かった、と思う。一つのゴールだと思う。
彼のため、全ての子供達のため、全ての人間のため、全てのけもののため。
そんな物語で、良かったと思う。
エヴァだね~これぞエヴァだわ、という印象の回。人類補完計画が遂行された結果、シンジの心は補完され、他の可能性を見る。まさに定番のラブコメ冒頭よくばりセットみたいな世界。シンジがちゃんと主人公ぽく、ちゃんと三バカトリオの役割を果たしている。エヴァに乗っていない自分。エヴァに載っているからこそ、ここにいられると思っていた自分
シンジは自分が嫌い。だが、自分が嫌いでは他人を好きになれない。自分というものを形作っているのは、他人。与えられた他人の真実で物事を見ている
しかし、他人に完全に理解されるのは不可能。自分の捉え方一つで真実は変わる。心の空白を埋めて、見方を変えて、自分を好きになれるかもしれない、自分はここにいたい、ここにいても良いんだ!という結果になる
ただこれ要するに人類補完計画によって現実逃避して終わった、ということでいいのか?他人の顔ばかり伺い、他人に嫌われていると思いこんでいたシンジくんが、僕は僕だ!って気づいた!っていう話であればなるほど確かに。でも世界は使徒に強襲されている世界で、エヴァに乗って戦っていて……という事実があって、その部分は全く解決されていないと思うのだが。この辺は劇場版で"補完"される感じですかね
全体を通すと、途中までは強い使徒!頑張って戦う!でも苦悩もある。という感じで思いの外普通に面白かった。出てくるマシンや都市の構造、使徒のデザインなど、SFとしてワクワクする表現も多かった。のだが、途中から一気に概念的な、内面的な話にシフトしていった。結局、エヴァとは何だったのか
正直終盤は万策尽きてる感があり、本当にやりたかったのがこれなのか、やりたいことができなかったのでそれっぽく締めたのか、判断が難しいよ!当時はどう受け止められてたんでしょうか
最後の「おめでとう」シーンはあまりにも有名。キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!って気持ちと、唐突感と、なんかシュールな感じとで正直ちょっとワロタ。次は旧劇場版を観ます
キングオブコントの会の松ちゃん「なにこのおめでたさ!!!」
☆☆☆★(3.5)
作中時間の2015年から1年経った2016年において、人類補完計画のもとシンジくんの心の中で他人の心を使った自己肯定が行われているのが何だか怖いなあと思った。人間は完全に自由だとかえって生きづらいということなのか?
とりあえず全部見たけど、どんな顔すればいいかわからないの
オチが思ったの違うけどオチ以外完璧
劇場版を見ろということか。謎がまだ回収されていないな。
全て謎のまま終わったんだが
リアルタイム視聴世代(当時大学生)。やはり、今見ても同じだった。周囲にまさに「エヴァンジェリスト」として布教していた自分でしたが、このあと、買いかけていたレーザーディスクを売却して一旦足を洗う。旧劇場版も映画館では見なかった。fj.rec.animationの、放送後の議論にも参加しなかった。
2016年か。見たのは20年ぶりくらいかも。ボクって何。
ひでえwwwww
なんか、なんだろうね、って当時の小学生には理解できなかった。大人になった今も理解はあんま出来てないけど。
現実という可能性の物語…なのか? いずれにせよシンジくんおめでとう
ゲンドウの新聞の日付が2016年
前回も含めてありとは思いますが、いかんせん連続性がね
あと、とってつけたハッピーエンド
正直言ってよくわからなかったので、劇場版を見て理解を深めようと思います。