寿限無の肝は早口で話すことではない。親が子に着けた長い名前で笑いをとる噺。話し方を抑えたアプローチを繰り返すあかね。
こんなにじっくり寿限無を聞いたの何年振り、と言うか初めてかもしれない。この前母親になぜ自分があかねなのかと聞いた。その名前は父親が付けたと言っていた。朱に染まるそれを見て思いついた、朱色は魔除けとか長寿の意味もあるといってつけたようだ。
適当に名前を付ける親なんていない…その通りだな。その話を聞いて名前の大切さを知った彼女は寿限無を続ける。
ひかるが言うには彼女の演技は聞けば聞くほど役の情景が浮かんできてあかねの存在が消えていく。からしは何を狙っているのかよくわからない、うまいと思えないほど自然に演じているように見えると言った。客にうまいと思わせてるうちは二流、聴き手が話の世界に集中するあまり演者の存在が消えたように思える。名人がやるようなことらしい。
こぐまが言った通り知ってる話だからこそ集中して聴けるというのもある。役に対する意識が浅くともそれなりにこなしてしまうあかね。志ぐまはなぜ寿限無を選んだのかと言うと、寿限無はシンプルな話で役の了見について考えるにはちょうどいい作品であると言った。あかねについて志ぐまは種をもう芽吹いており実るのも時間の問題だと。
あかねによって今やこの会場は噺を楽しむ場所に変えられてしまった。演じようと表現しようと力むと演者の存在感は大きくなる。人物を知ることでごく自然に大げさな技術や表現に頼ることなくごく自然にその人物としてふるまえるようになる、さりげなく自然に演者の存在が消えるほどに。
あかねが先に志ぐまから了見の話を知ったら空回りしていたかもとこぐま。アニメにあかねの姿はなく演じている情景が浮かんでいるように描かれている。
彼女はその寿限無を話し終えて大きな拍手をもらった。阿良川一生はこれに何というのか。
彼の口から出たのはここはお前が来ていい場所じゃないってわかってるよなと言う言葉。それに対してあかねははいと力強く答えた。可楽杯はあかねの優勝で幕を閉じた。からしは阿良川一生があかねに対して言った言葉、それは素人の大会にプロが荒らしてんじゃねえという意味だと取り、自分やひかるがあかねの相手になっていなかったことに悔しがっていた。
そして阿良川一生とあかねは座談会に参加。そこで6年前の真打試験で自分の父親、阿良川志ん太を破門にしたのはなぜですかと開口一番阿良川一生に問うた。彼の口から何の言葉が飛び出してくるのだろうか。
あかね小話はからしとひかるとあかねが登場、寿限無みたいな有名な話でも口伝で伝わるので部屋によって違うみたいだ。