神回か。
嬴政が実際にどのような考えでいたかは分からない。けれど、人の本質は光だと語るくだりには胸を打たれるし、名君にあるべき思想だと思う。
実際の始皇帝の思想は法家に拠っていた。実際、始皇帝一代の治世は郡県制と法による徹底的な統治によって、統一された中華が分裂することはなかった。恨みを持つ諸侯の刺客に襲われたことはあるが、戦争はなかった。法の執行が苛烈であり、始皇帝陵の建設に際しての労役が過酷で民の不平を買ったが、戦国時代を終わらせての統治だから、下々の力を削ぐ意味で仕方ない面はあったのかなと。
始皇帝の次の世とは、実質的に漢王朝だと言える。始皇帝の死後は、高官の趙高の専横により政治が乱れ、多くの始皇帝の重臣が冤罪を掛けられ、労役の苛烈化がより深刻になり、日雇い農民の反乱(陳勝・呉広の乱)に端を発した内乱から、項羽と劉邦の戦いに発展し、勝利した劉邦によって漢王朝(前漢)が成立した。この回での政の発言は次代の漢の成立まで視野に含めていると思われる。
そう考えると、始皇帝の歴史的偉業は、戦国時代を終わらせて漢王朝という長期政権成立への先鞭を付けたことにあると言えそう。