『大衆化と凡庸化』
■作者のやりたいこと
「キャラに愛着がゼロ」「いろいろ諦めた結果のリハビリ作品」
驚いたことに作者自身が公式ファンブックでこのように言っている。
つまり、始めからウケ狙いで作られた工業製品的な作品ということだ。
その事自体に問題は無い。練られた序盤が上手くハマったのだろう。
しかし話が進むにつれ、この手法の悪いところが表に現れてしまった。
■作られたキャラクター性
《ヨルさんの暗殺設定》が宙に浮いてしまったっぽいのが解りやすい。
緩くて温和な性格と、冷酷な暗殺業では整合性が取れないのだろう。
また、〈姉好きのユーリ〉や〈ロイド好きの夜帷〉が登場したが、
上辺だけというか、人間味や信念が感じ取れずあまり感情移入できない。
極端な言動が、リアリティーや知能まで低下させているように見える。
■薄く引き伸ばされた脚本
最終話は良かったが、2クール目の盛り上がり所は非常に少なかった。
学校に体操着を届ける道中で作画リソースを開放してしまう程だ。
またロイドは、病院勤めの描写が加わってスパイ活動の比重が下げられ、
アーニャは、別に心を読まなくても大丈夫な普通の子に近づいていった。
家族になっていく《変化》が終わり、《安定》がベースとなってしまった。
■感想まとめ
シリアスとして決めて欲しいのに、途中で緊張感が無くなったり、
コメディーとして笑いたいのに、オチがイマイチ弱かったりする。
「家族向けとして楽しむ作品」と言われれば納得できるが、
「クオリティーが高い作品」と持ち上げられるのは変だなと思う。
〝自分と世間との評価のズレ〟を認識させられたようで今後が不安だ。
ぼっち・ざ・ろっく! 4コマ原作とは思えぬ引力
■部活動の枠を超えたストーリー性
主人公は、頑張らないと人生詰むキャラとして明示されており、
『音楽で成り上がるor自分を変えていく』という大きな目標が存在する。
[中学の3年間で毎日6時間練習し、動画投稿で実力を発揮。]
[バンド活動で凄腕JKギタリストとして徐々に注目されていく。]
尖った設定だが、付箋だらけのギター本からも一定の説得力が感じられる。
■『陰キャVS陽キャ』ではない空気感
後藤ひとりは、重度のコミュ障として心配され盛大にイジられてはいるが、
そのヤバいネガティブ思考も、自分は《立派な個性》だと見ることができた。
山田「ぼっち、面白いのに。」という台詞や、歌詞作りへの助言からも、
作中では決して《本来こうあるべき》という描かれ方はしていないはずだ。
社交的な喜多の魅力もより眩しく際立って、良い関係性が築かれている。
■CloverWorksにおける演出
表現が柔軟かつ多彩。アニメならではの崩し方などでセンスが良い。
顔面崩壊や爆発四散など、その奇抜さ自体がキャラ性の一部に出来ている。
また〈妄想パートでの周りの進行〉〈コミュニケーションの成立度〉など、
会話の状況や性質にまで気を使い、脚本段階から構想を詰めていたそうだ。
視聴者を飽きさせない工夫やテンポ感が、映像面での完成度を高めている。
■原作者を活かした制作体制
[キャラデザ/背景美術/楽器設定/脚本会議/アフレコ/楽曲制作]など、
原作者が制作にがっつり関わることで、作品の土台部分が強化されている。
特に楽曲制作では、デモや仮歌、ボーカル収録にも立ち会い、
演奏シーンでは、キャラの細かい仕草にも意見が反映されているとか。
密な連携を図ることで、バンド作品として音楽面での完成度も高めている。
■原作理解度の高いシナリオ
6話〈路上ライブでの内面の変化と成長〉
8話〈仲間のピンチに駆けつけるヒーロー〉
12話〈ヒーロの復活を信じて待つヒロイン〉
このポイントをしっかりと決めきった脚本構成は優秀に見える。
「今日もバイトかぁ」とBパートを経て日常に戻っていく終わり方は、
《自分の居るべき場所》という小さな認識の変化が感慨深くて納得できた。
■物語とリンクした演奏パート
〝失敗しても互いに支え合う関係性〟それこそが《結束バンド》であり、
ぼっちのソロパート復帰を信じ、体で虹夏に支持を出す山田には感動した。
《ぼっちちゃんが作詞し、喜多ちゃんが歌う。》この発明が凄くて、
ひとりの内面だけでなく、お互いの双方向でも強い意味が生まれている。
この辺に感情移入できるかどうかでも作品の評価は変わってくるだろう。
■総評まとめ(86点)
力のある原作を、力のある制作陣が、力を注いで作った大成功作。
とにかく全員で良い作品を作ろうとする熱量がずば抜けていると感じた。
シンプルなキャラデザで目立たないが、全体的な作画や背景も良かった。
自分に刺さった曲も多く、直ぐにサブスクで聞けるのも良かった。
楽器ギターそのものや、想いを乗せるロック音楽にも興味が持てた。