鳥は飛ぶための形をしており、魚は泳ぐための形をしている。人にも生き方に応じて様々な形があり、サツキは片腕を失っているが、商売人として生きるのに相応しい形をしている。鬼夜叉は骨が細く顔立ちも柔らかいため観阿弥にはなれないが、観阿弥には観阿弥の、鬼夜叉には鬼夜叉の良さがあるのだと言う。今回鬼夜叉が抜擢されたのも、それを見越してのことなのだろう。
怒りに身を任せると足元が見えなくなる。演出が良いため色々と深読みしすぎてしまうが、十二五郎の足元で踏みにじられていた花は、地に足の付いていない彼自身の芸を表しているように見えた。一方で、まだ正式な場で舞う経験が浅く実力を見せられていない鬼夜叉の才能を暗示している、とも捉えられそうな気がする。
まぐわいは命を未来へ繋ぐ営みであり、そこには無から有を生み出す人々の祈りが込められている。苛立ちを真正面からぶつけた十二五郎や、鬼夜叉を必死に探す座員からは、観世座の芸をより良くしたいという願いを感じる。芸とは、そうした人々の祈りを背負うものなのかもしれない。それらを感じ取った鬼夜叉が、祈りを舞いにどう昇華していくのか楽しみ。コガネの姿が見えなかったことや、鬼夜叉と足利義満の出会いも含めて、伏線も気になるところ。