カタチに合う……か。百姓のカタチ。商人のカタチ。
若のカタチ……を見た変態爺さんみたいなの出てきたぞ。
今熊野……熊野神社は場所が移ってるからね。
観世ならば世の音を観ろ、か……何者だこの人?魚を素手で生きたまま捕まえてた。
交合いは人の祈り。
よしみつ?足利義満か?
おお~躊躇なく殴り返したぞ!
皆それぞれの場所で生きるため、生き抜くために自分のカタチを得る。わたしもわたしのカタチをみつけるのだ。
原作未読。
気がついたら話が終わって、つつきが見たくなったので、評価は文句無く「とても良い」。
3話まで見て、まだこの先どういう風に物語が転ぶのかは良く判っていないが、おそらくお忍びの将軍義満との出会いが描かれ、鬼夜叉の成長のきっかけを作ってくれる謎の人物も描かれ、これからどんどんと面白くなっていきそうな気配は醸し出してきた。
2話で予想した幼少期は2話までで3話から青年期という予想は見事に外れたが、幼少期を丁寧にやるのは賛成(面白くなる分には)
自分は自分の役目に向き合って頑張ってるのに、血しかないサボり野郎が大役を与えられ気にかけてもらえてるのは受け入れたくないよな。
鬼夜叉は鬼夜叉でサボってるつもりはなく自分の舞を探してるんだろうけど、五郎の思いを知ってまた変わるだろう。青春だ。
どちらかというとこれまでより人間性にフォーカスした回でいいな
醜い部分を知ることで成長できるかぁ
親熊野の舞台に立つ事を命じられた鬼夜叉、どこか練習に身が入っていない鬼夜叉に対して荒れる十二五郎。1人だった所を頭に拾われて真面目にやっていたからこそ、今の鬼夜叉を看過する事が出来なかったんだろうなと。鬼夜叉が将軍である足利義満と出会った所も今後に影響を与えて来ると思った
まぐわいを見てからの取っ組み合い、まぐわいかも
鳥は飛ぶための形をしており、魚は泳ぐための形をしている。人にも生き方に応じて様々な形があり、サツキは片腕を失っているが、商売人として生きるのに相応しい形をしている。鬼夜叉は骨が細く顔立ちも柔らかいため観阿弥にはなれないが、観阿弥には観阿弥の、鬼夜叉には鬼夜叉の良さがあるのだと言う。今回鬼夜叉が抜擢されたのも、それを見越してのことなのだろう。
怒りに身を任せると足元が見えなくなる。演出が良いため色々と深読みしすぎてしまうが、十二五郎の足元で踏みにじられていた花は、地に足の付いていない彼自身の芸を表しているように見えた。一方で、まだ正式な場で舞う経験が浅く実力を見せられていない鬼夜叉の才能を暗示している、とも捉えられそうな気がする。
まぐわいは命を未来へ繋ぐ営みであり、そこには無から有を生み出す人々の祈りが込められている。苛立ちを真正面からぶつけた十二五郎や、鬼夜叉を必死に探す座員からは、観世座の芸をより良くしたいという願いを感じる。芸とは、そうした人々の祈りを背負うものなのかもしれない。それらを感じ取った鬼夜叉が、祈りを舞いにどう昇華していくのか楽しみ。コガネの姿が見えなかったことや、鬼夜叉と足利義満の出会いも含めて、伏線も気になるところ。
将軍さまと新右衛門さん。どうしても一休さんが浮かんでしまうでござる。
ただ稽古場に籠って練習するのではなく、世に出て見分を広めることによって藝を「掴む」という展開がとても好き
遊んでいたわけではないが、傍からはそう見えるのはやむなしだけど
舞を任されし鬼夜叉。それも大役。
そりゃ練習に身が入らないよね……。君には君の良さがある。
まぐわいの正式な意味を理解できていない鬼夜叉……純粋。
帰ってきた矢先に真面目なキャラに顔面パンチを喰らってからの展開よ。
ずっと努力している者には身勝手な鬼夜叉が気に食わなく映るかもしれない。
鬼夜叉はどんな自分を形作っていくんだろうね?
もう原作既読分まで追いついちゃった…しかし、その範囲でも十二五郎のシーンを多く入れてきていたり、逆にカットしているシーンがあったりしてかなり再構成してきている…いよいよわからなくなってきた。ただ、原作よりも間違いなく成長譚とその過程の人間関係を描く方向に寄せて、エンタメとしてわかりやすく振ってきている。原作は良くも悪くも掴みどころがない進行なので、異常な作画の気合とあわせて良い感じになりそうな気もする。
十二五郎(観世座の下っ端)の気持ちもよくわかる。左馬助(十二五郎の親方)の「自分の醜さを知った奴は強くなる」という言葉が染みる。「まずは足もとを見るこったな」そして足もとには踏みつけられた花。
観世座は将軍の前で猿楽を披露することになり、鬼夜叉も大役を任される。
練習からすでに緊張で思うように身体が動かない。
心臓が、うるさい。
君には君のよさがある、いい言葉。
鬼夜叉の身勝手な振る舞いが気に食わない真面目な十二五郎に顔面パンチをくらう。
猿楽に、すべてを賭ける覚悟はある?
偉大な父親とこれからも比較され続けると思うが、鳥が空を飛ぶ形なように、万物にはすべて自分の形がある。
それを見つけられるように、鬼夜叉は今日も舞い続ける。
足利義満!?将軍から『まぐわい』を教わる世阿弥。
大変興味深いですねぇ
父のようにはなれない…と周囲から冷笑される鬼夜叉。同じ夕日は二つとねえんだよ←言ってみたい。
いきなり舞い込んできた鬼夜叉の舞台。心臓の鼓動とモノローグで動揺がこれ以上なく伝わってくる。
そしてまぐわいキタァ!!!???まぐわいとはいいものだな!
鬼夜叉のようにさまざまな外部からの刺激で変わっていく存在を、ひたすら努力し続けただけの人間が好ましく思わないのも事実。だがやりすぎた。そんな存在にも”まずは足元を見ろ”と諭してくれる大人がいるのがいいな。足元に花が潰れかけていたのもいい演出だ。
団子屋のサツキの形、商売の形と言ったが鬼夜叉はきっと舞の形をしているのではなかろうか。団子屋のところで舞う鬼夜叉は舞っていた。客も多かったが籠に入っていた偉そうなおじいさんじゃ誰だ?
稽古嫌いだった鬼夜叉は稽古をするようになった、しかし、父親である観阿弥のようにはなれないと周りの人から言われていた。骨格など体のことを言われていたから無理なのか…
蜘蛛の形は全部違う同じ夕日は二つとないとコガネ。コガネと見る夕焼けもこれで最後かも…今熊野と言う場所に行く鬼夜叉を見送りながら石を投げたコ猿楽が初めて将軍の前、一世一代の大舞台。ガネ。将軍の前で観阿弥が翁を勤めるらしい、そして鬼夜叉も舞台に参加することに。新熊野の舞台に。舞の練習の際、鬼夜叉鼓がうるさいかと思ったら自分の心臓の鼓動がうるさく出遅れてしまう。落ち着けと言いながらも落ち着けない。このままではだめだと呟く鬼夜叉。自分の舞はどうすればよくなるのか…。コガネがいた川に行くが彼はいないそこで会ったのは1話の際に道を教えてくれた謎の男、彼は今日はどこへ行きたいのかと問うた。君には君の良さがある。父と同じでなくても良いと彼は指をさした。その方向に向かい森の中を進むと、男女のまぐわいを表わしているような舞をみた。
するとすぐそれをまぐあいだ、田遊びだよと言ってきた男がいた。男女がまぐわい子をなすように、種が芽吹き実がなるように、無から有が生まれることへの、人のいのりだとシタラと鬼夜叉は考えた。
鬼夜叉は何かをつかんだのかもしれない、早く帰って稽古がしたいと走って帰っていった。そして先ほど話してきた男は足利義満なのか…。
急に殴ってきた五郎は頭と猿楽のために何を失ってもかなわない、お前はどうだと、鬼夜叉はサボって少しやる気を出しただけで舞台に立てるのだから楽なもんだ、お前を見てると腹が立つとさらに手を上げられそうになると、殴ってきた彼の師匠がそれを止めに来た。あんたはその体で舞うんだ、うちの大事な舞台に立つんだから自分勝手はだめだと鬼夜叉に言った。
五郎は観阿弥の舞に魅せられた一人。自分の醜さを知ったやつは強くなると師匠に言われた彼は涙を流した。一方鬼夜叉は鳥を見て、皆それぞれの場所で生きるため、生き抜くために自分の形を得る、私も私の形を見つけるんだとヒントを見つけたように見えた。
まぐわいはいいものだな!←マジで笑った
確かに碌に練習してないのに大役任されるのはズルいよなあ、それも真面目に練習してる身からすると余計に腹が立つ 多分師匠もそのことわかってるからあの対応だったんだろう
これは自分のせいなのだが、猿楽、舞の良さをいまいちわかってないから惰性で見てしまっている
いや本当に申し訳ないんだけど可愛い女の子が出てこないという1点が足を引っ張って飽きてきている自分がいる…
増二郎の言いたい事は分かるし、全体的に納得感がある話だった。良き。
おじいちゃんがかっこいいのは良いよね。ヤバそうなおじいちゃんも見えたけど。
鬼夜叉くん才能はありそうな雰囲気ですが天真爛漫が過ぎるなぁ・・・