ラフタリアが何の説明もないまま大きくなってて何話か飛ばしてしまったのかと思ったよ
又、災厄の波が唐突に始まってすぐに終わった点は驚き。災厄の波はクライマックスだけに登場するのではなく、定期的に出現する感じなのかま?
見た目がおおきくなり、それ以外にも表情がコロコロ変わるなど精神面での変化も感じさせるラフタリア。
対して尚文はラフタリア程の変化は出来ていない。少々表情が柔らかくなっているものの、自分を馬鹿にする元康達には言い返す事が出来ないし、自分の無実を誰かが信じるなど想像できないまま。だからラフタリアが「何処へだって付いていきます」と言ってもイマイチ信じきれない
けれどラフタリアへの対応はほんの少しだけ優しくなっている部分もある。見た目が変わり、言動も様変わりしたラフタリアへの尚文の対応は小さい時とそれほど変わらない。分相応に扱って欲しいラフタリアを子供扱いする尚文。もう尚文の中でラフタリアは奴隷でも道具でもなく庇護する対象となっていることが判る
ただ、あの見た目のラフタリアに対しお子様ランチを注文をしてしまう尚文は流石に空気が読めてない気がする
後半は戦いの局面に移ったことでそれぞれの戦う理由がクローズアップされる
尚文は勇者であるけれど、国に絶望しているから積極的に前線に出たいという想いはない。だから三勇者が見捨てた村を守る道を選ぶ。自分と同じ境遇になってしまいそうな人を助けることを目的とするラフタリアも同様
その姿に触発されて村人や少数の騎士も尚文と共に戦う道を選ぶ。全ては自分の村を守るため、国民を守るため。
対して波を振り払うことを目的とする三勇者は尚文の戦いと趣がかなり異なる。そもそも彼らはこの世界とそっくりなゲームを知っていたことも有って、退治した敵を「今回のボス」と表現したりどこかゲーム感覚が抜けていないままなのは今後が不安になるところ
守るしか出来ない尚文はどんなにボロボロになっても前に出る。村に留まりひたすら村人を守り続け、後に感謝された尚文。見捨てられた者を守ろうとする彼の姿は確かに勇者と呼ぶに相応しいものに思えた