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全体
とても良い
映像
とても良い
キャラクター
良い
ストーリー
良い
音楽
とても良い

本作は言葉で全てを表現していないが故に感想も言葉で全てを表現できないような気がする…

元が読み切り作品である為か、藤野と京本の交流をメインに物語は展開されている。また、2人は漫画制作に挑むものの、その内容がどのようなものであるかは明示されないし、制作においてどのような壁が有ったかもテーマとならない
そこに在るのは2人がひたすらに絵を描き続けたという事実だけ

なら2人はどうして描き続けたのかと言えば、それこそ2人が出逢ってしまったからとしか言い様がないように思える
当初の藤野は目立てる、他より優位であると示せるから描いていたように思う。それが京本というもう一人の描き手に出会う事で彼女の描く理由は変質した。相手の領域に追い付きたい追い付きたいと執念で描き始めた
けれど当初の京本は藤野への返答となる絵を描けないから、藤野は立ち止まってしまう。2人は互いの絵に出逢った事で描き続けられたのに相手と絵を交わせない状態では続けられない

更なる変質が起きるのは本当の意味で出逢い関わるようになってから
藤野は京本の憧れを体現する為に、京本は藤野の背に追いつく為に。2人は一緒に描き始めた事で最高の歩み出しが出来た
でも、道が分かたれてしまうのは結局の処、2人が1人と1人でしか無いという事実から抜け出せなかったかもしれない
藤野は憧れを体現する為に。京本は追いつく為に。その手法は異なっていた。あれだけの時間を一緒に過ごしていたのに互いは別の描き手であるという事実に気付かなかった

ただ、それは本来悪い事では無かった筈なんだよね。道が分かれたっていずれ合流すれば良い。成長した2人としてまた一緒に描き始めれば良い。
それを許してくれない理不尽があまりに哀し過ぎるから出逢った事すら間違いだったと、感情が許容できないだけで

藤野の後悔から描かれるIFの時間軸は残酷でありながら都合が良い代物
藤野が誘わなくても京本は美大に進み襲撃の現場に行き着いてしまうし、京本が襲われる場面で都合良く藤野がキックをかますなんて無理が過ぎる
けれど、そんな有り得ないIFで示されるのは2人が2人として描き手の道へ進むきっかけ。そこから判る、藤野と京本はどうなろうと描く道から外れられやしない
それは最早呪いかのよう

ならば究極的には京本の死が藤野を止める理由には成らないかもしれなくて
確かに藤野は京本の死によって休載し膝を抱え込んでしまった。けれど「出てくんな」と言われても京本が藤野の背を追いかけたように、京本が藤野に憧れて描いていたなら藤野も描き手で在り続けなければ
あのどてらは京本にとっては1人になっても描き続ける原動力だった筈。図らずも藤野にとってもそれは同様となった
それは呪いと祝福を同時に体現する、描き手にとって何よりも厄介な代物

藤野は漫画なんて描くもんじゃないと云う点に言及している。それでも描く理由を彼女は明言していないけれど、本質的に描き手はその答えを持ち合わせていないのかもしれない
描きたいから描くのではなく、描かなければ呪われてしまうから描き続ける。そういう呪いの下に生きている
藤野は1人になってしまった。けれど、京本がどのような背中を追い掛けて描き続けていたかを知ってしまった彼女はもう描くのを辞めるなんて出来やしないのだろうね

ストーリー面だけでなく描画方面についても感想を述べるなら、鮮烈な印象を残したのは藤野が京本から憧れを明かされた後の帰り道の様子かな
話している最中は京本の憧れにまるで興味がないかのような素振りだったのに、帰る道すがらに少しずつ躍動感が増えていき、雨を蹴っ飛ばすようにスキップを踏み始める彼女の表現には感動に近いものを抱いてしまったよ
読み切りが受賞した時よりも連載が決まった時よりも過剰に示された感情表現からは京本に褒められた事が藤野にとって描き続けた行為が何よりも報われた瞬間だったのかもね

スタッフロールも印象的だった
映画のスタッフロールは監督等の主要スタッフの後にキャスト欄が来る作品が多い認識があるのだけど、本作では作画に係るスタッフを残らず出してから他のスタッフ一覧を表示していた
それは本作が変えてはならない原点として掲げる、描き手への尊崇の念の表れであるように思えたよ

あと、この感想文は本作のサントラを聞きながら書いていたのだけど、聞いているだけで映画の各シーンを思い出して物哀しい気持ちになってしまった…
本作の音楽って素朴さを強く感じるのだけど、それだけではない孤独や強さや衝動などの印象を覚える…



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