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印象的だったのは、食事のシーン。
大津家の食卓は、みんなでワイワイと会話をしながらの食事。主菜は焼き魚。
一方、ララとリサの食卓は、二人だけで会話も弾まない。食事にも手を付けず、主菜は刺身で、デザートにはアイス。
温かみを感じる大津家の食卓に対して、ララとリサの食卓からは冷え冷えとした印象を受ける。
これは、ララが感じている「人間の世界」と「人魚の世界」の温度差を表しているかのようだった。

全体としては、ララが人間の世界に留まり、「怖くても止まらない」と覚悟を決めたエピソードなのだろう。
覚悟はできたとして、問題はここからどうやって「本当の愛」にたどり着くのかということ。

個人的に、本当の愛とは特定の誰かとの愛ではなく、すべてを包み込むような愛のことだと考えている。

以下は、超個人的な妄想と、その妄想に至った経緯。

ララの母親は、本当の愛にたどり着いたとされている。
そこで、ララの母親についての描写やセリフを振り返ってみた。

まず、ララの誕生シーンでは、母親が描かれていない。
人魚の生態については知る由もないが、少なくとも人間の感覚からすると、子供の誕生に母親が立ち会っていないことには違和感を覚える。
さらに、回想シーンでリサが「この城に命を与える光もお母様が生み出したもの」と語っている。

このあたりを振り返っていると、もしかしてララの母親は、物理的には存在していないのではないか?という妄想が浮かんできた。
ララの母親は、皆を照らす人魚の「光」そのもの。つまり、人魚の世界を愛し、命を与え、守る、そういう存在へと進化したのではないだろうか。

自己を犠牲にしても、見返りを求めず、愛し続け、与え続け、守り続ける。そんな意志と覚悟を持てたとき、本当の愛にたどり着けるのかもしれない。
もしそうであれば、ララが本当の愛にたどり着くうえで、相手が茉里なのか、ルカなのか、それとも別の誰かなのかは、大して重要ではないように思う。
家族愛、友情、恋愛、そういった、いろいろな関係をいろいろな人達と築くなかで、本当の愛へと至るのではないだろうか。

ララも本当の愛にたどり着いたなら、母親と同じように、物理的に存在しなくなるかもしれない。
本作のタイトルは「さよならララ」。
物語が「別れ」に向かうことは、タイトルからも察せられる。



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