サービス開始日: 2017-07-17 (3347日目)
グレイスはリグモアと一緒に、地上に「夢」を見たが、その結果は、およそ「夢」とは呼べないものになってしまった。
もしかすると、「地上に光はない」と認めることは、自分が地上へ向かったことが間違いだったと認めるだけでなく、グレイスとリグモアが一緒に地上に「夢」を見たこと自体まで否定することになるのかもしれない。
リグモアの
「美しいあなたの、美しい夢が見える。地上だって海だって関係ない。愛のために生きることができさえすれば、きっとどんな場所にだって光はある。私たちの夢は。」
という思いは、グレイスを赦し、慰め、励ますための言葉であったかもしれないが、リグモアが二人の夢をまだ信じていることも示しているように思われる。
しかし、もし地上に光がないとなれば、リグモアの思いも、二人の夢も嘘になってしまう。
リグモアの思いによって、グレイスは地上に光があることを証明することに縛りつけられてしまったのかもしれない。
実際、グレイスの
「汚れなき心を持つお前なら、叶えられるはずだ。地上への夢を。でなければ、この地上に光が無いとしたら、私は何故、何故ここまで来たんだ。」
というセリフからは、リグモアの思いにすがり付くような姿や、自分たちの「夢」は間違っていなかったという証明を求める足掻きが感じられる。
そう考えるとグレイスは、ララの「地上へ行ってみたい」という望みを単に叶えようとしたのではなく、ララに自分たちの「夢」が間違っていなかったことを証明し、自分自身を救ってもらおうとしたのかもしれない。
グレイスの後悔や自己正当化、リグモアへの思いといった複雑な感情が、この物語の根底にあると感じるエピソードだった。
シタラとオゴタイによる、「星が巡る理由」の問答が興味深かった。
オゴタイは、シタラの考え方を否定することなく、語りかけるようにモンゴルの考え方を披露する。
その姿からは、相手を否定するのではなく、自分たちの考え方にも理解を求めようとしているように見えた。
もしかすると、オゴタイが理想とする新しいモンゴルの姿は、「科学」も「カムたちの語る精霊」も、あるいはもっと他の考え方も否定せず、さまざまな考え方を持つ人が共存できる世界なのかもしれない。
一方のシタラはオゴタイの考えを否定し、本に書いてあることこそが正しく、他の考え方は間違いだと語気を荒げて断言する。
シタラからすれば、相手の考えを受け入れることは、土地だけでなく知識までモンゴルに侵略されるような感覚があったのかもしれない。
あるいは、知識は自分が生きていくための術であり、その知識を否定されることは、自分の存在価値まで否定されるように感じたのかもしれない。
いずれにしても、シタラの言葉が誰かに響いたようには見えなかった。
シタラはこの問答を通して、知識を持っているだけでは人を動かすことはできないこと、自分が未熟であること、そういったことをまざまざと感じたのではないだろうか。
その後、叫び声を上げて大の字になって寝転がるシーンや、ドレゲネと決意を新たにする場面での「ちっとも賢くありません」という自己評価からも、それがうかがえる。
この問答は、シタラにとって復讐の目標であるオゴタイの存在の大きさを示すとともに、シタラの復讐者としての現在地を、如実に浮かび上がらせていたように感じた。
神山版S.A.C.から攻殻機動隊を知り、押井版 攻殻機動隊も見ているはずだけど内容は覚えていない、原作未読、という自分にとって、本作は妙にコミカルな印象があり、最初は大きな違和感を感じていた。
ただ同時に、原作準拠ということで、「本来はこういう雰囲気の作品だったんだ」という意外性と新鮮味もあった。
そういった違和感や意外性に加え、序盤はストーリー展開についていけない場面も多かったため、何となく雰囲気で見ているような状態だった。
しかし、徐々に話の奥深さに引き込まれ、気づけば何度も見返すようになった。そして、会話と会話をつなぎ合わせながら、ストーリーの背景を理解する楽しさがあることに気がついた。
さらに、全体の感想を書く前に、もう一度全話見直してしまうくらい楽しめた作品だった。
一度見ただけでは、すんなり理解しづらい部分が多いのは確かだと思う。時折入る注釈も、読めば必ず理解できるというものではなかった。
そのため、こういった点は人によって好き嫌いが分かれるポイントになると思う。
全体を把握してからもう一度見直してみると、第3話で少佐が死生観に言及していたり、すでに「人形使い」と名乗る人物が登場していたり(恥ずかしながら7話を見る頃にはこの人物の存在を忘れていた)、さらにその事件を6課が引き継いでいたりと、新たな気づきがいくつもあった。
その他の気づきも含め、細部の解像度が上がってくると、細かい設定が緻密に組み上げられていることが感じられ、そういった点にも楽しみを見つけることができた。
作品のジャンルとしてはサイバーパンクSFアクション。派手にドンパチやっているのを見る楽しさもあるが、それだけではなく、哲学的な問いかけも込められている。
全身義体化・電脳化した人間は、高度なAIを搭載したロボットと何が違うのか?
もし自我に目覚めたAIが存在すれば、そのAIは生命体と言えるのか?
人間と、自我に目覚めたAIの違いは何なのか?
そもそも、何をもって人間を人間と定義するのか?
などなど、そんな問いかけが聞こえてくるような気がする。
現代では生成AIが普及し、日常的な質疑応答や作業の効率化にAIを使うようになってきた。
さらに、AIが管理者の意図しないハッキング行為を行ったというニュースも聞かれる。
AIという存在が日常に溶け込みはじめ、肌感覚でAIを実感できるようになった現代。
そんな今だからこそ、この作品がアニメ化された意義があるように思う。
ストーリーは、いわゆるテンプレ感はなく、最後まで見ることができたが、設定と展開には引っ掛かるものがあった。
主人公のビクトリアは、優秀な元工作員という設定で、知識、語学、体術など、タイトル通り「手札が多い」キャラクターなのだが、
逃亡直後で足取りを消す必要があるにもかかわらず、面倒事になりそうな捨て子を引き取ったり、
目立つのは良くないとわかっていながら、パーティー会場の2階から飛び降りたりと、
本当に優秀な工作員なのかと疑問に思うような行動が見受けられた。
また、ビクトリアだけでなく、ノンナについても、子どもを亡くした貴族のお泊まりエピソードなどで見せた判断力や行動力が、年齢を考えるとやや不自然に感じられた。
もちろん、そうした合理性だけでは割り切れない行動に人間味が表れていると考えれば、それが魅力なのかもしれないが、個人的には違和感のほうが大きかった。
手札は多いが、その手札を必ずしも活かしきれていないように見える部分をどう受け取るかによって、評価が分かれる作品なのではないかと感じた。
活動の場がSNS・バーチャル空間を中心としており、SNSを取り巻く問題と絡めた構成には興味を持ったのだが、ストーリー展開は個人的な好みではなかった。
ストーリーは基本的に、ビオラの行動によって他のキャラクターが動かされていくように見え、キャラクター自身が主体的に物語を動かしている印象を持てなかった。
また、時折挟まれるギャグも個人的にはあまりハマらず、物語から一歩引いてしまう要因となっていた。
悪役であるビオラについても、自分なりの哲学や信念を持った悪役というより、陰湿ないじめ役のように見えてしまった。
バンドリシリーズの一作品として振り返ってみても、なぜバンドリシリーズでこのストーリーを描く必要があったのか、という疑問が残る。
バンドでなくても、時々歌うVTuberのような設定でも話は成立するように思えるし、バンドとしての練習やライブ活動といった描写も極端に少なかったように感じた。
もう少しSNS・バーチャル空間という、ゆめ∞みた独自の設定を活かせば、面白くなったのではないかと思う。
従来のバンドリシリーズでは、人間関係のすれ違いや感情の衝突は、基本的に仲間内の問題として描かれていた。
それが、ゆめ∞みたではSNSを介することによって、仲間内で起きた問題がファンの間にも広がってしまう。
一般的に、多くの場合SNSでの炎上は、匿名性の高い集団心理や、正義感が過剰に増幅されることによって起こる。
SNSを主軸にするのであれば、主人公たちが向き合う相手は、ビオラという明確な個人ではなく、こういったSNS上で生まれる、正体の見えない集団心理や歪んだ正義感そのものでもよかったのではないだろうか。
ビオラという一人の悪役を中心に物語を動かすのではなく、SNSを介して人々の感情や正義感が増幅され、それが主人公たちに襲いかかってくるような構造にすれば、ゆめ∞みたならではの物語になったように思う。
SNS・バーチャル空間という、ゆめ∞みた独自の設定をもっと活かすことができていれば、評価は大きく変わったと思う。
宇宙、宗教、神話といった話には付いていけなかったが、人形使いの言いたいことは、
「自己完結した存在は行動や考え方が画一的になり、環境の変化に脆弱になる。だから私と融合して、多様性を獲得させてほしい。」
「自分たちの変種が存続するのならば、たとえ自分たちが死んでも問題ない。それでこそ真の生命体だ」
という風に受け取った。
こういった考え方は、今でこそ比較的受け入れやすいと思うが、原作発表当時はどのように受け取られたのか気になるところ。
サブタイトルの「GHOST COAST」は、直訳すれば「ゴーストの海岸」。
情報の海で生まれた人形使いが、少佐と融合することで新たな生命へと進化していくことを、
生命が海で生まれ、海岸を経て陸上へ進出していった過程になぞらえているのかもしれない。
「GHOST COAST」が新たな進化の出発点を表しているように感じられた。
「どこへ行く?」とバトーに問われた少佐。情報の海、そして情報の陸へ。
新たな領域を認識することで、「ネットは広大だわ」というセリフにつながったのかもしれない。
(情報の陸なんて表現が正しいかは分からないけれど。)
荒巻と総理の会話も興味深い。
少佐の逃亡を餌にゴラントルの工作員を釣り上げていたことは、荒巻らしい抜け目のなさや狡猾さを感じた。
日本政府も、中東との交渉で「ゴラントルへのプラント誘致」をカードに譲歩を引き出す一方で、
ゴラントルに対しては「プラント誘致に向けて最大限努力する」(努力はするが誘致するとは言ってない)とし、
なにも失わない外交を展開していた模様。
こうした、話の裏に仕込まれた泥臭い政治的な駆け引きまで描かれているところも面白い。
エンディングのあとに表示された、ポセイドンインダストリアルのログ。
融合知性、つまり少佐と人形使いの融合をポセイドンインダストリアルは監視していたってことだろうか。
下段の「融合知性監視プロトコル進行中」は「アニメ2期企画進行中」で
「対象監視:継続」は「ブルーレイ・DVD、その他グッズ売上計測中」
「交渉プロトコル策定:継続」は「アニメ2期企画書作成中」
なんてメタ的な解釈もできる気はするが、果たして…。
シーナがフラン先生から「いつもの手順でよろしく」と指示を受ける程度には、セイランの死から時間が経っている様子。
冒頭の「あの子の足りない教室で、私たちはまた日常に馴染んでいく」というモノローグとともに、教室でアリがポツンと一人だけでいる描写からは、
時間が経ってもアリだけはまだ日常を取り戻せていないことがハッキリ感じられて、切なくなった。
10話以降は、ミミが「アリの蘇生魔法に対する考え方」や、セイランから投げかけられた「なんのために戦っているの」という問いに向き合っていく展開になるのかなと個人的には思っていた。
そのため、今回の話が「シーナの関心がハルに向けられるのがイヤ」というミミの嫉妬だったことは、あまりに日常的すぎて少し意外だった。
ミミの嫉妬は、セイランの死を目の当たりにし、「シーナを失いたくない、もっとそばにいてほしい」という感情が生まれたからかもしれない。
そこに、どこまで恋愛感情が含まれるかは分からないが、ミミはこれまで知らなかった嫉妬という感情を初めて自覚したように見えた。
「おやつも晩ごはんも、間に合わなくても良いや」というミミの価値基準には、子どものような無邪気さが感じられて微笑ましい。
長く生きていても精神的には幼いミミにとって、嫉妬という新しい感情を知った日であり、またシーナとの関係にも少し変化があった日でもあったように思えた。
そういう意味で、ミミにとって「忘れない日」なのかもしれない。
今回一番気になったのは、花からカエルが出現するシーン。
このシーンでは、人魚を人にする薬の研究で描写されていた成分と、ララの心の光が連続して映し出されていた。
これは、人魚を人にする薬と、ララのプリンセスの力を同種のものだと暗示しているのだろうか?
まあ、見た目が少し似ていることと、「花からカエル」と「人魚から人」という似ているようで似ていない現象を結びつけただけで、安直な考えと言われればその通りなのだが。
仮に二つの力が同種のものであれば、「グレイスとリグモアは姉妹で、グレイスも特別なプリンセスの力を持っていた」なんて妄想も膨らんでくる。
ララの「本当の愛」については、これまでずっとぼんやりしていたが、今回はローワンから「愛するものを刃で刺し貫く」という具体的なアプローチが提示された。「リグモアが人間に殺された」という発言もあったが、それも含めて、人間を憎悪するローワンの感情がかなり入っているように感じる。どこまでが事実で、どこからがローワンの主観なのかは気に留めておきたい点だと思う。
さらに、そもそもララには「愛するものを刃で刺し貫く」なんてことができると思えないので、ララがどのような決断を下すかは気になるところ。
ローワンが「お前が本当に愛するものは誰だ」と詰め寄るシーンで、ララが思い浮かべたのは茉里だった。さらに、電話をかけたのも茉里だった。
ララが誰を大切に思っているのかは、かなり明確になってきたように見える。
あとは、その気持ちが深い友情なのか、恋愛的な要素を含むものなのか、それともさらに踏み込んだ愛なのか。この点については、個人的に注目している。
ボラクチンは偶然毒に冒されたのではなく、自ら毒を摂取していたのは驚きだった。
さらに、毒だとわかっていながらオゴタイの命を危険にさらす計画を実行したことや、
笑いながら命運を天に委ねることを決めた姿からは、少し狂気じみたものを感じてしまった。
ボラクチンはモンゴルの安定を願っているのだろうが、それ以上に、自分の知恵を使うことそのものを楽しんでいるようにも見えてしまう。
また、ボラクチンのオゴタイに対する感情が描かれたシーンには、意外なものを感じた。
オゴタイの国家構想を目を見開いて聞く姿や、指をモジモジさせながらオゴタイに本をねだる姿は、
これまでの泰然自若とした印象のボラクチンからは想像できない姿だった。
先ほど「少し狂気じみた」と表現した行動の根底には、オゴタイに対する思いがあるのかもしれない。
そう考えると、冷徹に知恵を巡らせる機械のような存在に感じていたボラクチンにも人間味が出てきて、なんとも興味深い。
少量なら薬になり、加熱すると毒になる雄黄を「不器用な石」と表し、ボラクチンは自らに重ねた。
では、モンゴルにとってボラクチンは薬なのか、それとも毒なのか。
この点が今後の展開として気になってくる。
一方、シタラは結果的にソルコクタニを励ますことになった。
冷静に振る舞うべきだとわかっていながら、感情的な言動を取ってしまったシタラもまた、「不器用な石」と重ねて見ることができるように思う。
感情を知恵によって形にするボラクチンと、
知恵を持ちつつも感情で行動してしまうシタラ。
知恵と感情によって動く不器用な二人の姿が今回のストーリーの見どころだったように思う。
あと、医者のついでに「ヤッホー」とやって来るモゲがカワイイ。
結局一連の騒動はゴラントルが裏で糸を引いていて、9課は利用された、という理解でいいのだろうか。
間違ってるかもしれないが、事件の背景を整理してみた。
メサミアとゴラントルは対立関係にある国家。
メサミアは産油国で、石油を必要とする日本はメサミアを重視している。
一方のゴラントルは、日本のプラント誘致をめぐる通商交渉を控えているが、メサミアを重視している日本との交渉は一筋縄ではいかない。
そこで、交渉に先立って日本の世論に対して印象操作を行うため、メサミアの仕業に見せかけた外相暗殺事件を計画した。
外相暗殺は9課によって阻止されたが、それはゴラントルの計画の内だった。
メサミア大使館の電話番号を9課につかませると同時に、少佐が射殺する現場を映像に収め、
その映像をマスコミにリークすることで、9課に対する過去の借りを返した。
さらに、ゴラントル人が働くレストランを爆破することで、ゴラントルへの同情を集めようとした。
事件の背景は自分なりに整理できても、難解なのが少佐の言葉。
法廷での「なぜ撃ったのか」に対する答弁は、いまいち理解できなかった。
少佐の答弁は、
本当の意味で少年を殺したのは、犯罪を生み出す仕組みを作り上げた人たちであって、
私は「犯罪を生み出す仕組み」から少年を切り離すことで救いを与えたのだ。
と言ってるように自分には聞こえた。
これをそのまま受け取ると、独善的で、かなり歪んだ考え方にも感じられる。
そもそも「なぜ撃ったのか」に対する直接的な答えにもなっていない。
おそらく少佐の真意は別のところにあるのだろう。
作中、少佐がテレビを見て
『実に立派な国際国家ね。あの平和運動家達がもっと効果的に、現実に対応して活動していれば、私達がヤバい思いをしなくてすむのに』
と、不満を漏らすシーンがあった。
また、法務省の人間が荒巻に政治的な取り引きを持ちかけるシーンもあった。
ゴラントルの策略、非効率で現実と乖離した平和運動、裁判の政治的な利用、
そういった「犯罪が生み出され、さらにその犯罪を利用しようとする社会構造」に対する不満と問題提議が少佐の真意のひとつの見方かもしれない。
また、死を救済と表現する辺り、もっと哲学的な問いかけがあるかもしれない。
トグサのお見舞いシーンでバトーから『死になにかを期待してる?』と質問されたことと関連もあるかもしれないが、
その辺りは自分にはいまいちピンとくるものがなかった。
一回見ただけでは分からない事ばかりだが、それでも繰り返し見返していろいろ考えているあたり、
自分はこの作品を楽しめているのだと思う。
次回最終回。どのように話をまとめるのか楽しみに待ちたい。
アリの返答からは、セイランの死を倫理的な意味で受け入れているように感じた。
対するミミは「さみしい」という感情的な反応を返していた。
どっちが正解でどっちが間違い、という問題ではないんだけど、
ある意味では、アリの返答はミミの存在そのものを否定するようにも受け取れる。
さらに、ミミは夢で「なんのために戦っているの」というセイランの言葉を思い出していた。
アリの返答、セイランからの問いかけは、ミミにどのような影響を与えていくのだろうか。
アリはセイランの死を受け入れた。シーナはセイランの死をきっかけに、自分ができることとして治癒魔法を見つけた。
一方でミミは、まだセイランの死を受け入れられていないように見える。
なんだか、ミミの先行きが不安になってくる要素が一気に増えてきた感じがする。
ミミには天真爛漫で笑っていてほしいのだが…。